2012/06/03(日) 14:44:30 [落書き帳]

20130527005
 
「衝突」ではなく、銀河同士の接近、および合流

20120603004  
40億年後に銀河系衝突 NASA発表 「太陽・地球が破壊されることない」
   【ワシントン=共同】地球がある銀河系は40億年後、近隣のアンドロメダ銀河と衝突する-。こんな分析結果を米航空宇宙局(NASA)のチームがハッブル宇宙望遠鏡を使った観測で導き出し、発表した。産経新聞Web) 6月3日付記事より参照のため抜粋引用/写真は産経新聞同記事より資料として参照のため引用
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「衝突」ではなく、銀河同士の接近、および合流

 郷里の恐縮ながら、大都市の灯りに囲まれるかの地域ではなかったため、星々が夜空が美しく映えいた。特に、冬の夜空が美しかった。そのような光景が幼い頃からの記憶の中に残っている。

 表題は、「地球がある銀河系は40億年後、近隣のアンドロメダ銀河と衝突する」との分析結果を、「米航空宇宙局(NASA)のチームがハッブル宇宙望遠鏡を使った観測で導き出し、発表した」とするニュース(産経紙)だが。より正確には、銀河同士の「衝突」と謂うよりは、銀河同士の接近および合流(要旨)と認識した方が分かりやすくなるのではないか。

 「合流」は宇宙の中で特別な事象ではない。現在の、太陽系を含む銀河にも、遠い過去における他の銀河との接近、合流の形跡が観られ、結果、今日の規模に成長したとの分析も有る。ゆえに、表題に予測される「40億年後」と推定されるアンドロメダ銀河の合流もまた、特別な事象ではない。そうみなしておけば、冷静に観ていただける方が少なからず増えるのではないか。
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遠い未来の夜空の壮観

 はるか遠くから銀河を眺めれば光の渦にも映るが、しかし、その中に住む知的存在にとっては、恒星系同士の距離が数光年と謂う、実に膨大な間隔を空けながら点在している。ほとんどがスカスカに観える空間であり、一般に、そうした区域が実に2000億、3000億と内包されているのが、太陽系を含む銀河内部の実像と観てよい。それゆえ、但し、その確率はまったく「ゼロ」とは断定できないが、“衝突”の際も、「双方の銀河には十分な隙間があるため、星の衝突はないという」(NASA)と分析し得るのである。

 そう認識いただいてニュースをご覧になれば、「なるほど」とご理解いただけるのかもしれない。はるかな事象ながら、彼方からゆるりと接近し来るアンドロメダ銀河の様子は、遠い未来の夜空の壮観ではないかと思う。
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余録: しかし、遠い未来には

 しかし、すでに地球内部の天然の原子炉の燃料は尽きている。そう想定される未来でのことで、マントルの対流とそれに伴うプレート移動は終わっており、地磁気が失われ、そのためバンアレン帯が喪失し、太陽風から地表を守れなくなっている等、との諸々の可能性が指摘されている。さらに、地熱の補充、噴火による大気の補充などがすでに途絶えており、海洋の凍結と揮発による宇宙区間への水素の発散、地表の鉄分の酸化などが進み、その遠い未来の地表の姿は、現在の火星にも似た姿へと転じている可能性もまた否定できない、との説が現今の先端の一部を成している。

 火星は、惑星それ自体が小さ過ぎるため、すでに内部の天然の原子炉の燃料が尽きており、地磁気を有さない表面は太陽風が直に降り注ぐ死の世界である。残存している大気も極めて希薄なため、小惑星帯からの隕石の襲来もその大部分を避け得ない。単純に、温度さえ上げれば“苔類を繁殖し得て、植物の繁茂による酸素補給”を期待できるとするかの、火星の“テラフォーミング”が一部で唱えられて久しいが、西欧の科学者がいかにそれをSF的に論じるとしても、また、将来の科学技術の進展を期待するとしても、一部にもてはやされている“研究”は、論旨の上で穴だらけである。実現性は「ゼロ」に限りなく近い。何故だろうか。

 往々にして、子供の頃から、たとえば、ビッグバン理論は、日曜のミサで聞かされた天地創造など聖書の話を、数学的に翻訳しておられる傾向は否定できないのではないか。また、地球が住めなくなれば、他の星を“地球”らしく造り変えてそこへ移住すればよいとする考え方は、移動型の狩猟民族の発想の延長線上にあるものではないのか等々。西欧の諸賢に対して、歯に衣を着せずに問いかけて来た指摘は少なくない。信条は信条として大切にされるにしても、それらを超えたごく純粋な視座が研究の底流に有るべき、との意味からの問いかけを成して来た次第である。

 永遠、久遠と謂う宗教的な曖昧ではなく、すべての事象には、現実に必ず「始まり」と「終わり」が有る。そこから冷静、客観的に出発するのが科学に有って然るべきスタンスに違いなく、実は、そこから新たなる限りない発想と、未来への真の可能性の知恵が生じる。それを成して行く。そこに、人類の中でもあらぬ偏見を比較的持たない敷島の研究者の使命が有ろうかと考える。すでに、反物質を1000秒間も存在させ、幻とさえ呼ばれて来た粒子の存在を証明しょうとしている。それらを底支えして来た敷島人の底力は、むしろ今世紀中にその終焉が必至の、石油などの化石系材料に依存性が高い“従来型”の文明スタイルに代わる、新たな技術と知恵を以って貢献に資し得る潜在力を有している。

 敷島が有する諸々の可能性については、来る23日の講演(静岡県)の中でお話させていたきたい。瑣末な身にとって何の利益にもならないが、国思うという、身の癒えざる遺伝病のゆえか。国思う勉強会としては滅多にないテーマながら、良識のみなさまにお会いでき、ご挨拶できることを心より楽しみにしています。
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日本は毅然とあれ!

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路傍にて(筆者)
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