2012/01/23(月) 19:11:52 [国思う勉強会/国守る勉強会]

 



日本を取り巻く状況との対峙

はじめに

 本日は、新年明けて早々の、一月半ばのご多忙の時期で、且つ貴重な日曜日にもかかわらず、遠路より、多くの国思うみなさまのご参加を賜り厚く御礼申し上げます。短い時間ではありますが、日本を取り巻く現況について少々お話をさせていただき、類する事項やお身近な事柄に関して、ざっくばらんな質疑応答の、交換の場とさせていただきたく思います。

 本来、瑣末な身にとっては政治、思想分野は専門外ではありますけれども、しかしながら、特にこの足かけ七年間は、個人のあらゆる時間、身の諸費を費やし、ささやかながらも、国思う活動を地道に続けてまいりました。

 その中で、先ずは、日本の現状と在るべき将来について、一日一日を大切に、ブログからの問いかけをもとにより多くのみなさまと共に考え、真実を共有させていただければとメモの開示を維持してまいりました。テーマによりますが、時折、厳しい論調になる場合もあります。

 しかし、事実、実態の指摘は「悪口」ではなく、事の真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有と正確な認識はすべての第一歩であり、正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。先ず、このスタンスをもとに問いかけをさせていただいています。このスタンスにつき、先ずを以って何とぞご理解をいただきたく念願いたす次第です。

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敷島の桜花(筆者)
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国家毀損への対峙

 日本の周域には、特に、東アジアの特定国による捏造史観をもとにした対日毀損が渦巻いています。日本に対する精神侵略の具としてこれを用い、且つ、他の国々に対してもその毒指を伸ばしています。あらぬ虚構宣伝の数々に萎(な)えることなく、毅然と歩み、国家の真の繁栄と弥栄のために、今、私たちは事実をもとにこれら一部の特殊な国々による国家既存を砕破(さいは)し、むしろ、日本国民がアジア諸国に対し、ひいては世界各国に対して真実を証明して行くことが必要不可欠です。

 そのために、先ず、基本的ないくつかを確認しておくことが必要です。たとえば、これは、毀日教員組合構成員のみなさんに対する国思う啓蒙(これまで十一名脱退)の中で問いかけて来た一つです。

 侵略や戦争、紛争が無い世界が理想とする声は当然あるにしても、しかし、人類がそこまで進化しているかと問えば、未ださにあらずとの現実が在ります。その現実の上で、果たして、戦争をしなかった国はこの地上に有るだろうか。貴兄らによる軍国主義とのトラウマが徘徊しているが、しかし、指摘すれば、いずこの国も国家の軍隊を有する軍国主義を基調とし、その重要性を自国の教育にもそれぞれ反映し、独自の憲法を有している現実をどう説明するのかと。

 軍国主義の実態は、かつて職責で訪問した「米(北米)」「加(カナダ)」はもとより、「英(イギリス)」「仏(フランス)」。「伊(イタリア)」や「西(スペイン)」もまた例外ではなかった。諸国の庶民の間での防衛論議はごく当たり前であり、国を守るために命を捧げた先人を敬うのもごく当たり前。その尊さを教育を通じて順々と子供たちに教えるのもごく当たり前。それぞれの「日」に国家の首脳が先頭に立って祀地を訪れ、国民と共に哀悼を捧げるのもごく当たり前。さて、肝心な日本では、どうかと問えば、貴兄らの教育荒廃の現状に言及せねばならないが、いかなるお答えをいただけるだろうかと。こう問いかけてまいりました。

 いかなる国家毀損に対しても、このように正面から朗々と問える心の強さと、この心の強さを子供さん、ひいては青少年層に問いかける心の豊かさが必要となってまいることは謂うまでもありません。

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気づくべき内なる侵略

 基本的に点検しておくべきもう一つは、特定国による宣伝、流布(るふ)の片棒を担ぐかの、メディアの多くによる、日常的な日本毀損の植えつけです。たとえば、昨今のテレビ、新聞等による報道、番組の配信には、観る人、読む人の思考停止を誘うかの傾向性が一層色濃くなって来たかに見受けられます。その中でも、特に、日本人であることが、あたかも恥ずかしいことであるかのような、あらぬ自虐意識や奇妙な先入観を、無意識のうちに植え付けているかに映る番組、報道が目立ってまいりました。

 そうした「情報の濁流」の中にあって、虚構を見抜く英邁な眼識をより培っておくことも必要不可欠です。

 メディア報道の多くに目立つ傾向を指摘させていただければ、日本「侵蝕」の意味合いが色濃い。情報を配信するメディア自身もそれに気づかずにいるケースも少なくない、とそのように観察しております。さらに、多大なCMや広告、あるいは、新聞の代行印刷、他の権益などの利益と引き換えにするかのように、在りのままに報ずるべき「情報」に対する意図的な加工や操作がことさらに目立ち始めているかに洞察しております。

 それでいて且つ、「事実」報道や、真に社会問題として問うべき事項は省略する、あるいは、まったく報じない。たとえば、民主党が推進する同党案の「人権侵害擁護法案」がその典型的な事例と指摘できます。また、先年の、公明党が推進した「国籍法改正案」成立のプロセスもその顕著な事例の一つとして指摘できます。

 およそ、こうした推進者の立場からすれば、国民がその中身を詳しく知れば都合が悪い。反対議論が起きては困る。選挙の争点になっても困る。それらの抵抗値が低いうちに法律化してしまえ、とするかの、特定の体や集団の糸(意図)引きを目の当たりにする思いを禁じ得ません。そのために都合悪い「情報」は隠匿し、国民に開示しない。且つ、「情報」の隠匿、隠蔽に邪魔ととみなす存在に対する「個」の圧殺、除去もまた立て続けに起きているかの不穏な現状にあります。

 概しての指摘になりますが、極めて特異な傾向にあり、民主主義と謂うよりは、おぞましい全体主義が指摘されて来た朝鮮人民主主義共和国や中華人民共和国に通ずる言論抑制であり、かの国々の内的な権益、対日工作の侵蝕によって、日本のメディア、ひいては言論全般が怪しくなって来ているかに映ってなりません。この状況を、機会あるごとに私は「侵蝕(しんしょく)」と記しています。いわば、メディアが、日本人を内面から蝕み、弱体化を謀るかの特定国の侵略の具と化しているかの諸々内なる侵略の一端と見抜く眼識を一層培って行くことが重要です。

 「侵蝕」は、音こそ似ていますが、あくまで、雨風で山や岩が「浸食」される事象とは当然意味が異なります。また、単に、物質、経済的に「侵食」されるだけではない。「侵蝕」はより深い次元からの侵略を意味し、他国による対日毀損、対日工作の実情の上でその効果的な「具」であり、少なからずメディアが先述の事由で買い取られている現状を指摘してまいりました。日本に在りながら、日本人であることに誇りを持てない国を現出する。メディアの多くが、そのための、人の内面を蝕む侵略行為に加担している、と認識すれば事の次第が解りやすくなります。

 この日本に、ある国のような自虐的な国家状況を現出させる。たとえ、学術活動の上から、自国の歴史を振り返り、たとえば、あの事項は実際には無かった、この事項は再検証すべき、等の研究論文を書いただけでも罰せられる。日本もそのように変造させ、延々と謝罪、賠償を差し出すような「国」に造り替えたいためでしょう。そのための、盛んな自虐史観の植え込みであり、政治と民意の弱体化のためのさまざまな対日工作が存在する。その状況にある、と私は洞察しております。

 たとえば、性的奴隷は無かったのではないか、と言っては罰せられ。南京大虐殺の有無、真偽を検証をしただけでもまた罰せられる。そして、子々孫々の世代にいたるまで、この日本が謝罪、賠償請求、さらには侵略対象とされているに等しい現実が有ります。

 この先祖代々の日本を、そのような国に自らを貶めてはならず、総じて毅然とあるべきです。たとえば、弥栄の春に咲く桜は、日本人の美徳を象徴する集団の美として古くから讃えられてまいりました。しかし、個々が毅然と花を開いてこそ、はじめてそこに集団の美があり得ると謂えます。

 国思う個々がより毅然と、且つより英邁に立ち還るその先に、多少の紆余曲折、艱難辛苦(かんなんしんく)があろうとも、この日本が、本来在るべき原点に立ち還る時が必ず到来するものと信じて止みません。以上をもとにこれからお話する内容にお耳を傾けていただければ幸いです。
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増長する露西亜 の横暴

 先年、露西亜大統領が「歯舞・色丹島訪問も計画」とするニュースが報じられました。また、その後に、歯舞、色丹の二島をも日本への返還に値せず、との「日ソ共同宣言」(一九五六年)の破棄にまでいたるに等しい主張が日本に届きました。

 そもそも、樺太の南半分を含む北方の事域は日本の領土です。昭和二十年(一九四五年)の八月八日という玉音配せられるその間近の状況にあって、日ソ中立条約を一方的に破棄して日本領土へ侵攻し、玉音が配せられた後にも、執拗なまでに虐殺と領土収奪を重ねて強奪したに他なりません。標的が弱っている、と観れば侵略と収奪に出る旧ソビエト連邦の特質は、今日の露西亜にそのまま引き継がれて来ている事実を確認し得る新たな暴挙と指摘できます。

 外交的にも無策、無対抗に等しい民主党政権の反応を見つつ、さらに、露西亜はその増長する素顔の一端を露骨に見せ始め、特定国を交えた共同開発のブラフにまでエスカレートしています。

 かの突然の日ソ中立条約を一方的に破棄しての対日軍事侵攻は何を意味するのか。多くのみなさまがご存知のことかとは思いますが、概略ながらあらためて申しておきたく考えます。ソ連は、玉音示されたるその後も延々と軍事侵攻を進め、破壊と収奪を重ね、多数の婦女子を強姦虐殺し、凌辱と破壊の限りを尽くしました。また、武装解除後に、日本へ帰国させると欺(あざむ)き、多くの日本軍兵士をシベリア強制労働へと送り込んだ事実があります。国際法すら無視した当時のソ連軍の悪虐については、「これも戦争」という釈明は不可能です。玉音示されたる後も、樺太南部へ、千島へと対日軍事侵攻し、非武装の日本国民の大量虐殺にいたっており、むしろこれらの蛮行は戦争犯罪と指摘すべき実態にあります。

 その数値の一端が、いわゆる、ソ連の偽装とも指摘される「ソ連崩壊後」の資料公開によって明らかになっています。それによれば、「ソ連の占領した満州、樺太、千島に居住していた日本人」は 約に二七二万六千人(軍民を含む)。「シベリア、およびソ連各地に送致され強制労働を課せられた日本人」は約一〇七万人とあります。

 その中で、死亡者は三四万七千人(確認済みの死者二十五万四千人。行方不明・推定死亡者九万九千名) 他、強姦、略奪多数であることが判ります。記し難いことではありますが、強いて事実として記せば、ソ連兵の強姦に遭いながらも、幸いにもその後存命であった婦女子の多くは妊娠させられ、あるいは性病に感染し、国内での中絶、治療にあたった記録が日本国内に数多く残されています。同国のこの本質をしかと認識し、同国の暴挙に歯止めと外交の方向転換をなさしめ、領土返還への道筋をつけるに足りる政治家を選び、人材を育てて行くことが必要です。
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特亜による国家毀損、侵害との対峙 

 一般に、「特亜」は「特定亜細亜(アジア)」の略称として用いられています。「特定三国」とも呼ばれ、戦後に建国した「中華人民共和国」(一九四九年建国)、「朝鮮民主主義人民共和国」(一九四八年建国)、ならびに「大韓民国」(一九四八年)の三国が「特亜」に該当します。ただし、「朝鮮民主主義人民共和国」については、日本は国家として承認しておらず、国交はありません。

 「特亜」共通の特殊性は数多く挙げられますが、その最も大きな一つとして慢性的な虚偽体質が先ず挙げられます。史実とは異なる独自異様な捏造史観をもとに日本を毀損し続け、謝罪・賠償要求をさまざまに突きつけて来る。さらに、主権侵害や対日政治工作、教育干渉を正当化するための理由付けにこれらを用いるというおぞましい実態が各分野に観られます。

 その精神性は、たとえ捏造の鍍金(めっき)が剥(は)がれ、自国の非や瑕疵(かし)があからさまに露呈しても、自ら謝罪、賠償に資することは無い。日本人の常識尺度では決して測れない存在であることを確認しておく必要があります。

 たとえば、ひとたび日本固有の領土領海を不法占拠すれば、国際法廷審理への勧奨からも逃げ回り、不法占拠を解くことがない。話し合いや交渉にも応じない。むしろ、自国の武装警察や軍民の動員を増派し、周辺の学術的な海域調査に対してすら国(大韓民国)を挙げての威嚇と恫喝を重ねている島根県竹島の事例に顕著です。絶えざる領土侵害と、その一方での捏造史観をもととするかの内的侵略行為が絶えず、いわば、「特亜」の実態は、文明国の在り方とは著しくかけ離れた盗賊・無法国家と同等であると認識して差し支えありません。

 最近では、先年(平成二十二年)九月七日に、沖縄県尖閣諸島近海へ侵入した中華人民共和国の自称・漁船が、退去の警告を発していた海上保安庁の巡視船二隻に相次いで体当たりするとの事件が発生しました。加害者の船籍が帰属する中国共産党政府は、当該の海域侵犯と船舶を破損させた不法行為に対する謝罪や補償に資する姿勢は一切示さず、むしろ、現行犯で逮捕・拘束した船員と船長の解放を要求し、国家を挙げての威圧と恫喝の対日外交を即座に展開したことも記憶に新しい事例をいえます。

 同海域への侵犯行為はさらに頻度を高めつつあり、および、石垣島海域を艦船の一団で通過してみせるとの実態的なブラフをも重ねています。同国と、本質的に一体化しつつあるかの朝鮮人民主主義共和国は、積年の日本人拉致という国会犯罪を正当化するかのように、謝罪、賠償に資する姿勢を示さず、一部の例外を除けば、被害者を日本へ送還することすらありません。

 金正恩体制への移行による解決の糸口を見出すかの期待感が一部にありましたが、新体制の維持を北朝鮮内外に誇示するかのように、年が明けてもブラフを重ねています。恫喝を意味してのことか、局面によって日本へ向けるかのように多数の弾道ミサイルを発射し、本年も早々に日本海へ向けて近距離ながら弾道ミサイルを複数発射しています。
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国益とは何か

 常々勉強会でお話しさせていただいていることですが、ここで守るべき「国益」について少々申し添えたく思います。

 政治には、国民の安全と生命と財産を守り、尊厳を守るべき基本使命があります。また、国民には、そのために存在を資する政治家を選ぶ義務があります。この基本は、いずこの国でも共通しているはずで、この基本に適うものを国益と謂い、反するものを国害とみなすべきです。

 国益は、国民の安全と生命と財産を守り、尊厳を守ることを基軸とした内政外交の上で成り立ちます。この、ごく当たり前の基本を蔑(ないがし)にし、あるいは、この基本に優先するかのように、特定の政党や団体の権利、権益の保持、保護を専らとする活動や行動は、必ずしも国益に沿ったものとは謂えません。

 また、「国益」は、本来、この基本によって成り立つはずですが、国会答弁や政治討論会、あるいは、メディアのニュース解説などでは、上記の区別と整理が明確にできないままに、「国益」が論じられている傾向があるかに見受けられます。良識が点検すべき点がここにあり、見直すべき、本来の「国の成り立ち」の基本がこの点に集約されている、と謂えましょう。
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安全保障のもとで

 以上をもとに、以前に、小稿に記し、国思う勉強会で度々触れたことでもありますが、現在、民主党政府の曖昧、且つ迷走ともとれる対応により、日米関係が岐路を迎えている状況を考えてみたく思います。

 そもそも日米関係にはさまざまな功罪はあるでしょう。しかし、日米同盟とそれにもとづく安全保障の現実。それは、親米、嫌米の感情次元で峻別すべき筋道にはなく、日本国民の安全と生命と財産を守るための針路の上で、日本はどうあるべきか、と。国の将来をこの基軸の上に踏まえる上で、現時点では不可欠な要素に違いありません。

 日米同盟には、確かに功罪両面がともない、安全保障の恩恵のために拠出する対価も小さくはない。だが、たとえば、そのパートナーが米国ではなく、中国共産党の国であった場合にはどうか。おそらく、拠出だけでは済まないのではないかと、こう洞察しています。

 少なくとも、代償は領土領海の主権割譲にまでおよび、日本国内も同国と同様の自由無き社会を現出しかねず、且つ、ひとたび自国領とすれば、永久的に手放すことはない相手であると。そう指摘できるこれらの危惧に比べれば、少なくとも、一部に密約があったかに報じられてはおりますが、米国は沖縄、小笠原諸島を日本へ返還し、領土という主権の根幹を尊重し、戦後の民主主義と、ひいては経済的な側面での発展に寄与して来たことも事実です。

 一応は、本来の日本の風土にそぐわない日本共産党や社民党、カルトでさえ、その言論の自由を保証されている現実も、安全保障の現実をむしろ物語るものと謂えましょう。しかし、その相手が中国共産党の国であったとすれば、これらも危うかったのではないでしょうか。中国の安全保障下で、嫌中を主張すれば、果たして、どうなるのか。さまざまに、漏れ聞こえて来る中国国内での自国民への弾圧と同様、否、それ以上の過酷な目に遭うのかもしれない。嫌米趣向が流行している様子で、その主張も理解できないわけではない。だが、たとえば、「米」「中」のこれらの「差分」が先ず浮き彫りとなります。

 そもそもの、日米安全保障の恩恵さえもごく「当たり前」のことのように、水や空気の本来の有り難さをつい忘れてしまえば、子供の我儘(わがまま)さながらに、国を思う議論にはなり得ない、と。このようにも映る次第です。
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民主党政権下での反米誘導

 たとえば、野田佳彦氏(首相)の交渉への参加方針表明を機に、いわゆる「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定(Trans-Pacific Partnership/Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)」への「賛」「否」の動きが慌ただしくなって来たかに映ります。そもそもが、事前の周知と議論の場すら設けずに、外国の手のひらに乗るかのような、他人任せで、且つ唐突なまでの「賛」「否」を巻き起こすこと自体に私は反対です。

 しかし、現下の民主党政権では、先年の菅内閣の時点で、すでにTPP交渉参加への意向が同前首相によって発せられていたことを、ご存知のみなさまは少なからずと思います。遅くともその当時から、今日に有るような賛否の議論が政治主導で国民議論へと展開されていて然りの状況にすでに在ったと謂えます。

 そこを振り返れば、野田氏が交渉参加を表明するまでの間、果たして、現政府には大々的な議論がなされて来のかと問えば疑問が残ります。また、TPP交渉参加へ反対議論の中には、その場に衝けこむかのように、坊主憎けれりゃ袈裟まで憎しとするかの反米、ひいては安全保障すら否定するかの感情的な論旨がやかましく徘徊するようになって来たかに見受けられます。その結果、もしも、日米安全保障までが怪しくなって歓ぶのはどこの国か。この点を先読みし、このあらぬ誘導に対しては、おかしな方向へ乗せられないよう冷静なる峻別の眼が不可欠です。
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永遠ではない「安全保障」

 また、「安全保障」を必要とする、求める、という考え方にもそもそもの問題があります。日米安全保障は現下では極めて重要だが、絶えず変化をともなうのが世界情勢であり、その中での米国の衰退もあり得る。その将来を先読みすれば、日米安全保証も永遠ではあり得ない。重要なことは、安全保障が存在し得るうちに、いかなる他国への「安全保障」にも依存しない自国の防衛と相応しい自主憲法の制定、即した教育体系の確立による国家の綱格を確立することにあると。物事にはこうした筋道と順序があるべきです。

 その現実の筋立て無しに、いたずらに嫌米を謳(うた)ったとしても、果たして、ほくそ笑み、喜ぶ国は一体どこか、と。日本を取り巻く国際環境の現状に思いを馳せる必要があるのではないでしょうか。主権国日本に相応しい改憲、または自主憲法の策定も、防衛の強化もままならない現況下において可能な国策の一つは、早期の政権交代による出直しと、安保の修復・補強です。それを前面とした領土、領海の防衛に効果的に資するシフトを強化する以外に現実的な針路は先ずあり得ないと考える一人です。

 ごく月並みかもしれませんが、以上の基本的な筋道が、日本をとりまく国際環境に対するさまざまな議論の底にあって然りと考える次第です。
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いかなる国家においてもごく当然のこと

 拙き身ではありますが、過去の職責ゆえに、米加二国をはじめ、欧州、一部南米を含む十六カ国に赴いた経験を持つ身です。それらの国々すべてが独自の軍隊を保有し、国家観とそれにもとづく国旗、国歌の大切さを子供の頃から教えられ、防衛論議はごく当たり前のことであることを確認してまいりました。

 言葉悪くて恐縮ですが、斯様に、然るべき国防と、次の世代の安全と生命と財産とを守るべき議論が欠落している現下の国内の多くの報道、世論の様相に、危機感を覚えてなりません。
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民主党政権は速やかなる退場を

 その典型が民主党であり、政権の月日を経るほどに、その国害性を増すだけの存在であると。この感慨を深める一人です。

 たとえば、沖縄・普天間基地の移転問題では、首相はじめ閣僚の方針が二転三転し、ついに、日米同盟に亀裂(きれつ)が入りかねない岐路を迎える局面に差しかかっています。デシジョンメーカーの最たる存在であるべき首相をはじめ、政権政党が、斯様に、国の針路を迷わす行状は、先ずは政権交代、その後は「知らない」とする選挙政治の産物に他ならず、結局は、政権をとったが、隷従を専(もっぱ)らとする対特亜の友好、毀日路線以外は、本当に、どうして良いのか分からない。それが現在の民主党政権が日々増して国民にもたらしている国害と謂えるのではないでしょうか。

 その典型的な事例として、規模こそ小さいけれども、日本の領土領海を脅かして止まない中国共産党の国に対して「訪中団」を送る。そのために、秋の臨時国会を早々に閉幕させる。会期が短すぎるとの指摘が絶えない「臨時国会」の会期延長も「したくない」、との態度が露骨です。昨年暮れは詣でを断られたようですが。言葉は悪いけれども、国と国民のためにあまり「働きたくない」。醜態と失政をあまり「国民に見せたくない」。無能政権ぶりをあまり「国民に知られたくない」。さまざまな偽装、擬態をあまり「追及されたくない」とのとするかに茶を濁しつつ、日本にとって重要な国会を早々に「閉幕」させる、というスタンスが露骨です。

 結果、国政の病的な混乱のために、この二年余、どれほどの国益を損じて来たことでしょうか。真に「仕分け」の対象とすべき存在は民主党政府にと謂えるのではないでしょうか。心有る有権者は真摯に考えるべき時に来ています。

 そもそも国民に興味がなく、真面目に政治を進める気がない。どうやって政治すべきなのか、それすらも分からない。自勢力拡張のための集票。そのためのパフォーマンスに終始する。国売るまで政権の権能だけは確保したい、とするかの国民毀損の態度。また、そのための、ゴネ得、逃げ得しか思惟の中に存在していない。いささか辛辣かもしれませんが、しかし、端的に現下の民主党政権をそう認識すれば、おぞましい失政の実態のすべてが判りやすくなるのではないでしょうか。心ある国民から罷免を突きつけられてごく当然のことと思います。

 外交、内政の両面に渡り、本来の、国益に即した主権国に必要な政治と議論、施策をなす。その第一歩とするためにも、民主党政権の速やかなる退場が望まれます。メディアが誘導する政界再編云々以前に、毒性有する議員を一人でもより多く選外に処し、その預託に応え得る国思う政治家を一人でもより多く国会の場へ送り出して行く。すなわち、政界入れ替えが不可欠です。現状の面子のままに、椎茸と毒キノコを同じ鍋に入れるかの政界再編をなしたとしても、まさに「百年河清を待つ」に等しい。主権国日本に相応しい政治を体系を一歩、また一歩と、良識の総力を以って英邁に築き上げて行く。かけがえのないご家族のために、子供さんのために、お孫さんのために、この国護り国伝える心がことさら必要ではないかと実感する昨今です。

 本年の、親愛なる国思うみなさまの益々のご健勝とご活躍、ご多幸をお祈りいたしつつ、以上、先ずは冒頭の拙き一講とさせていただきます。

(以上、平成24年1月15日「新年茶話会」の冒頭につき)
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 本資料につきましては、後日、PFD版をホームページに掲載させていただきます。
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 読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝します。新たな記事をアップさせていただけたことを有難く思います。 ささやかながら、対外書簡活動の最中にある拙き身に対し、国思うみなさまより数々のエールと応援をいただき、大変に有難く、また、心強く、心より感謝申し上げます。いかなる時も一日一日を大切に、みなさまと共に考え、国護る真実を共有できればと願っています。辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。
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日本は毅然とあれ!

20110502003
敷島の桜花 (筆者)
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