2011/12/25(日) 11:05:01 [読者便り]

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博士はクリスマスしないの、創価だから?

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【通りすがりの方からのメッセージ】 博士の独り言さんでメリークリスマスを一度も見たことがありません。もしかして創価? 以上、メッセージより/写真は「路傍にて」(筆者)
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真摯なクリスチャン方々への迷惑を慮り

 小さなブログながら、ブログそのものに対してと謂うよりは、実際の国思う活動へリンクしたある種の貶めかと思いますが、表題のような、おかしなメッセージをいただくことが依然として多い状況にありますので、一度メモしておきたく考えます。

 私はクリスチャンではありません。到底、創価でも無く、カルト教団の信者でも無い。クリスマスを遠慮させていただいている理由は、そもそもクリスチャンでは無い者が、「亜」のような軽々な猿真似や利用により、本来の真摯なクリスチャン方々を貶め、迷惑をおかけするようなことがあってはならない。その、もとよりの尊厳を慮(おもんば)る「武士は食わねど」の心によるものです。
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心に残る各国の光景

 クリスマスについては、各国に赴任した経験から、個人的には、心に残る人々の姿や光景が少なくありません。キリスト教を文化や伝統の基本としている国々は少なくなく、その奥深さを重々尊重し理解すべきと考えています。この時期、特に、そうした国々の街々の光景には、それぞれの国なりにお祝いの装飾が施され、敬虔なクリスチャン方々の表情や教会に参集される姿が印象深く、むしろ、それらを以って、クリスマスの時期の到来を知らされる思いがしました。

 しかし、そうした外国の、または外国由来の姿はそれなりの姿と大切に尊重申し上げる一方で、身は骨の髄から祖代末々の日本人の一人である。このことは、各国でも自らのステータスとして出会う人々に淡々とお話し、たとえば、カードもメリークリスマスの代わりに、シーズングリーティングのメッセージを差し上げてまいりました。それで重々「個」に対するご理解をいただき、人間関係上も何ら問題は無かった。そのスタンスでまいりました。
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餅つきの思い出

 吾平の麓に生じ目を開けた実家にも、紀元節、新嘗祭など、重要な日本の節目をお祝いし、先帝、今上陛下のお誕生日を心よりお祝いするけれども、しかし、クリスマスは存在しなかった。それを「三つ子の魂」として今日にいたった次第です。この時期の思い出の一つは、新年を前にしての家族総出の餅つきです。子供ながらに、蒸し器から漂い伝わる餅米をくぐった湯気の香りにわくわくしました。

 代わる杵(きね)を持ち、臼(うす)の中の半つきの餅米を手で返す側もタイミングをとるのに懸命で、つきあがった餅を粉の上で成形する係も一生懸命でした。いわば、家族がそれぞれの役割を担当し一致協力しつつ、先ずご近所への挨拶で差し上げる余所行きの餅や実家の鏡餅、正月の雑煮や汁粉に用いる餅が次々と出来あがって行く。先祖代々から伝統として来た家族の大切さと、有り難さと温かみ、そして、つきたての餅の味が嬉しかった。毎年楽しみでした。

 この思い出一つをとってしても、個人的には、外国のお祭りはお祭りとして、且つ、日本は日本で、後は個々の信条や趣向によるものとし、基本的には相互不干渉で良いのではないかと。こう考える一人です。このスタンスは今後も不変です。

平成23年12月25日

博士の独り言
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日本は毅然とあれ!

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路傍にて(筆者)
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20100310008 

Comment


一応カトリックです。キリスト者は現代日本の商業主義に満ち溢れたクリスマスを望んでいません。クリスマスに未婚の男女が不順な交遊をするなんてのは、逆に冒涜以外の何ものでもありません。
ローマ法王も嘆いておられますし、本当のキリスト者はクリスマスは教会へ行き、家族と共に静かに過します。

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