2011/12/10(土) 00:02:09 [特亜/四亜]

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見つかるのが「悪い」と考える「亜」の習性

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偽の大学卒業証明書で「公的確認」 中国人留学生を逮捕
 偽の大学卒業証明書を使い国外でも書類が公的文書と認められる「公印確認」を受けようとしたとして、警視庁麹町署は、偽造有印私文書行使の疑いで、横浜市青葉区松風台、日本経済大学1年の中国籍、李雪謙容疑者(22)を逮捕した。同署によると、李容疑者はインターネットの在日留学生交流サイトを通じて敬愛大学(千葉市稲毛区)の偽造卒業証明書などを入手。「早く国に帰りたかった。親の期待を裏切りたくなかったので大学を卒業したことにしようと思った」などと容疑を認めている。産経新聞Web) 12月9日付記事より参照のため抜粋引用/写真は産経新聞同記事より資料として参照のため引用
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「悪い」と思う視点の、根本的な違い

 表題は、紙幣やクレジットカードから証書、各種証明書にいたるまでの「偽造」事件が絶えず、先年の先稿でも紹介した通り、世界に“流通”する偽造品の八割を担う偽造大国からやって来た“留学生”が、「偽の大学卒業証明書を使い国外でも書類が公的文書と認められる「公印確認」を受けようとしたとして」管轄所が逮捕したとの一報である。

 本来、こうした事例はおよそ先祖代々の日本人には有り得ないことであり、稀に例外があったとしても、いずれその「悪」を悔悟し、反省し得るメンタリティにあろうかと思う。いわば、ほとんどの場合、偽造一つについてもそれが「悪」であることを認識し得る能力を兼ね備えていると謂えよう。

 一方、「亜」にはその基本が無い。偽造や盗みに罪悪感は無く、それが「見つかる」のが「悪」であると。悔いるとすれば、なぜ、見つかったのか。そこに思考の軸を置くのが彼らのメンタリティである。それゆえ、日本人の常識尺度で彼らを測ることは到底不可能であり、仮に、日本人と平等にと善意を差し向けたとしても、それを逆手に取る。筆者なりだが、これが諸国で支那人の生態を観て来た実感である。

 たとえば、支那人の留学生らの面倒を親切に観てあげながらも、結果、殺害された日本人一家が如何に多いことか。そこまで行かなかったとしても詐欺や盗み、傷害のの被害にあった日本人がどれほどおられることか。メディアがなかなか事件を報じないほどに、警視庁犯罪白書に年々記される支那人、朝鮮人の外国人犯罪(検挙者)の余りの多さに気づかれるべきではないか。ただでさえ、「朱に交われば赤くなる」との諺(ことわざ)があるが、斯様なメンタリティを有する犯罪予備軍を日本へ容れるほどに増すであろう、日本人の若者層への悪影響も鑑みるべき状況にある。
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「偽造」の多くは組織的犯罪

 表題には、容疑者が抜け抜けと外務省に提出したされる「偽造の卒業証明書や単位取得証明書」を、「インターネットの在日留学生交流サイトを通じて敬愛大学(千葉市稲毛区)の偽造卒業証明書などを入手」と報じている。事実とすれば、たとえ当初の面識は相互の無かったとしても、要するに、言葉が分かる“同胞”学生らの協力のもとにそれら偽造書類を入手した結果であり、本件も実質的な「組織的犯罪」であることが行間から読みとれる。

 いわば、個人の犯罪というよりは、組織的な犯罪として査及すべき事件であり、同種の犯罪の「予備軍」が“同胞”協力者の中にも存在している。言い換えれば、また同じ事件が発生する温床とみなして差し支えなく、留学生のみならず、先稿でスパイや都市事件の要因と指摘して来たところの、企業の臨時、派遣社員などの他の分野でも同様に、その視点からの注意喚起が世に不可欠である。
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淘汰すべき「大学」

 特に、かつてのバブルの時期に生まれた大学の多くが学生の「定員割れ」で悩んでいるようだ。そこで、「亜」からの“留学生”の大量招致で学生数を補うべしとのコンセプトが横行しているかに窺っている。だが、それらの少なからずが「日本の大学へ入学後」に行方不明となり、犯罪予備軍として不法残留を続けている。そうした実態に目を向けるべきで、その温床となっている少なからずの大学の招致コンセプトは、学舎の生き残りのために犯罪予備軍に手を貸しているに等しい。

 そもそも学際的に存在感がない。大学としての価値が無い。学位を持たない、あるいは、そもsもの資質を問うべき“識者”らに平然と教授、客員教授などの肩書きを与えるかの、日本国民の安全と命と財産とを守るべく「国益」におよそ無縁な、単なる“経営”しか念頭に無い“大学”は淘汰すべきであり、業種変えするなりしていただいた方が世のため国家のためになる。さすれば、「亜」の犯罪予備軍を日本へ呼び寄せる温床もそこで一つの解決へと通ずるのではないか。
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【筆者記】

 同時に、次世代を担う日本の若者を育てる。そのために、あらゆる方策、施策に全知全能を尽くすべき立場にあるのが時の政府に違いない。一国の将来は、その国の若者の世代を観れば読み取れる。その視座から、学校のみならず、その後の就職や結婚、子育てまでの一貫した政策が今ほど必要な時はない。国民の若者個々の長所、得意を伸ばす場を千差万別に政治が設ける。未来への希望と自信を以って胸を張って生きて行ける。そのような基本スタンスが国務には不可欠であり、有権者は峻別の視点をそこに置いて良い。
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日本は毅然とあれ!              

20111210002                 
路傍にて(筆者)
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20100310008 


 

Comment


法は正しいと考える日本人
法は権力者の一方的な要求と考える中国人・朝鮮人・そして江戸時代までの日本人

出発点が違う

ここを理解していれば民族差別的な見方から開放される

権力者の一方的な要求はほとんど「悪」なのだから、脱法こそが正義と考える

江戸時代にはねずみ小僧や石川五右衛門が讃えられもしたが、「法律」という「悪」に一矢報いたことが讃えられたのでしょう

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