2011/11/22(火) 11:27:27 [国思う勉強会/国守る勉強会]

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一期一会

 私事ながら、やんちゃに育った身の修養を兼ね、みなさまと同じ中高校生の時期でしたが、茶の湯を定期的に習っておりました。正直なところ、身に多少の窮屈を覚える。そうした感慨は当初は否めませんでしたが、正座の基本から諸々に在るべき所作の一つ一つを学ぶ。それらを通じて、先人が「」として確立した日本人の心、美学をそこにまた一つ学ばせていただいた思いがしました。

 あくまで私なりにですが、茶道で心奥深く学ばせていただいた一つに、「間」の取り方があります。本来、おもてなしの心は、相手方へ対する思慮が凝縮された日本人の美徳の一つと謂えます。その、おもてなしの中で重要な一つが「間」の取り方であります。ほんの束の間であっても、この「間」の取り方がとても大切なのです。

 また、それが茶の湯でなかったとしても同様であろうかと思います。たとえば、ごく通常の日常の中で、来客にお茶を差し上げる。そうした時に、忙しさのためか、急須に湯を注ぎ、そのまま湯呑(ゆのみ)に注(つ)いでおられる事例をよく見かけます。しかし、そこで、遠路より来てくださったお客様を労(ねぎら)いつつ、あるいは、世間話でも良いと思います。湯を注いでから二十秒、三十秒、四十秒と「間」を置く。

 その束の間に急須の中で醸成された緑茶は、直ぐに注いでしまうものと比べれば、同じ茶葉であっても、また、急須や湯呑は同じものであっても、より香り豊かな奥深い味になっているはずです。ここに「間」の大切さがあると謂えましょう。たとえ同じものであっても、ああ、美味しいと。来客をより快くおもてなしする。ここにも奥深い思慮の心がある。

 そして、ふと心に思慮を尽すのは何故か。それは「一期一会」のゆえであります。悲観的なお話をするつもりは決してありません。しかし、現実に、たとえ親しい関係に在る人であったとしても、結果、その時にお会いしたのが最期となった。こういう事例は世に数多とあろうかと思います。ゆえに、ごくありふれた再会のようであってもそれをまた「一期一会」と心して、また、可能な限り、親しき間柄にも礼あるべきとの思いも心の奥に併せ持って、心のこもったおもてなしを差し上げるべきかと思います。

 その心を以ってすれば、ごくごく平凡に感ずるような日常の中に在っても、たとえば、ご家族そろって食事を共にするその一時(ひととき)の大切さ、無事の有り難さ、嬉しさを日々新たに心の中に再確認して行けるものと思います。この心もまた先祖代々の日本の伝統でもあります。どうか、みなさまにおかれましては、ご両親を大切に、ご家族を大切に、そしてご自身を大切に、新たな日々を心豊かに迎えていただきたく、心より願う次第です。

(以上、平成23年5月30日「青少年講座」(ボランティア)より)
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平成23年11月22日

博士の独り言
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日本は毅然とあれ! 

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路傍にて(筆者)
 敷島の 茶の湯に映える 菊花かな 一期一会の 心麗し 義広
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