2015/05/28(木) 04:05:00 [メディア報道の闇]

20130527005     
メディアらがもたらす
表層的な印象操作、誘導に惑わされずに

 【読者】 毎日ブログで貴重な論考をお示しくださり、ありがとうございます。さて、「大阪都構想」が住民投票で否決されたのは良いニュースでした。しかし、僅差という結果には注目すべきと感じます。政策の内容について深く議論するより、「改革か否か」といった印象を前面に押し出す扇動的な手法が拮抗をもたらしたと言っていいでしょう。


 「改革」「民間主導」などの言葉を旗印に、民主党などとは別の方向から国の形をおかしくさせる勢力にも気をつける必要があると思います。ブログを拝読して、マスコミやネットの情報を鵜呑みにせず、自ら考えることの重要性を痛感しております。ご多忙のなか、博士が取り組まれている書簡活動や論文のご執筆など、諸事が順調に進みますよう、謹んでお祈り申し上げます。


(以上、いただいたご投稿(28日)より)

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▼ 平成27年5月26-28日の小稿として

創価「朝鮮つながり」か 6
日本から脱出?
諸事情に負けず
国防にもリスクは付きもの
美しい敷島を護ろう
即発「米中戦争の危機」考
お知らせと応援のお願い

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良い時も悪い時も

 貴重なご投稿をいただき感謝します。更新ですが、取り敢えず午前8時頃(28日)までは出来そうなので、可能な限りの残る数時間に一つでも多くの問いかけを続けたいと思います。いわゆる何事も山あり谷ありで、良い時には浮かれれることなく、また、あれこれ困難な時が有っても「こういう時も有る」という。状況を客観視できる。そこから前へ進もうとまた努力できる。それが敷島人の底力の一つと思いますし、拙き身に対しても自戒することしばしばです。

 思い返せば、経済的には今より恵まれていたものの、拙き研究生活においてもまた同様でした。支那人留学生に小論をそっくりパクられていたことに気づいたり、新型デバイス発明への着想を先輩にあたる欧米の研究者グループによって頭から否定されて孤立化を余儀なくされたり、などなど。いろいろなことが有りました。

 前者は論外として、後者も結局はその人たちの方が計算を間違っていたという。1粒で200メートルの「グリコのおまけ」みたいなオチが付いた事例も有りました。そのデバイスの子孫が衛星通信や太平洋横断の海底ケーブル、携帯やスマホの一部に使われていることを思えば、事を成し遂げるそのはるかな前段において、たとえ苦しい状況に遭遇することが有っても「そういう時もある」と。敷島人の誇りと胆力を以ってして仕事を進めて良かったと思っています。

 青少年講座では、良い思い出をより沢山持って育った人ほど、後に大人になっても道を違えることはない(要旨)と。敷島人の基本是の一つとしてそう申し上げて来ました。大人になっても苦しい経験も結果的に良い思い出に換え、身の力にして行く。事を成し遂げた幾多の先人も同様であったと。そう拝考しています。後代の私達もその伝統の心を忘れず、見失うことなく、持ち続けることが大切かと思います。
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多くなった、亜系式の「羊頭狗肉(ようとうくにく)」

 前置きが長くなってしまいましたが、その伝統の心に照らせば、特に近年のメディア報道の多くは亜系式の「羊頭狗肉(ようとうくにく)」(羊の頭を掲げて狗肉を売る、との喩え)のパターン多用の状態に陥っており、日本人の心を忘失を指摘せざるを得ません。

 たとえば、在日採用枠などにより本来は朝鮮籍の韓国籍を含む在日コリアンの要員が増大した。創価学会(公明党)主導によって約十年前に法律になった個人情報保護法(「在日保護法」と当ブログでは命名)によってメディアの人事、採用でも興信所が使われなくなり、創価信者はじめカルト教団の目がトロンとした要員が増えた、という事情も背景に有ろうかと思います。それらが要因と思われますが、朝鮮書きのような亜系式の「羊頭狗肉」の報道が目立つようになりました。

 その典型的な一つに、たとえば、上記の読者がご指摘の「改革」「民間主導」などのキャッチプレーズも位置づけることができます。その場合の論旨の「穴」は国籍が無いことです。ゆえにいずこの国民によるいずこの国民のための「改革」であり、「民間主導」なのか。厳密に問えば、そのベクトルさえも明確ではありません。

 むしろ、たとえば民団による在日コリアンのための「改革」であり、民団による「民間主導」ではないのかと。シャーレのばい菌に着色して顕微鏡でその動きを観れば、判りやすくなるような事例が増えているので、これまで読者の皆様に提案して来た「川面のうたかたに目を奪われることなく、流れからうたかたを見る動体視力が必要ではないかと。そう思う次第です。
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「から」認識の実態

 新聞にこう書いている「から」、テレビがこう云っている「から」とか。本にこう書かれている「から」とか。ネットでこう書いている「から」とかの、「から」認識ではなく。「けれども」私はこう考えるという、キーワードやキーアイテムをヒントに先ず「自ら考える」という在り方を事実査及の第一歩とする。そのスタンスが必要になって来ます。

 強いて指摘させていただけば、「から」認識は人類史上希に見るほど知的レベルが低い韓国(南朝鮮)やお仲間のカルト教団の皆さんの特技といえます。“池田センセイがこう仰った”「から」とか、“大川総裁がこう本に書かれている”「から」などなど。いわば「から」認識は、集団洗脳の具にもなっていることを良識はチェックすべきです。

 一方、たとえば、大腸菌の海で囲まれた本場・韓国(南朝鮮)では、朴大統領らに関する報道でも恒例の「から」認識によって、「右往左往菓子器のさくらんぼ」の如くに右へと、左へと花火がパンパンと弾けて常に騒然としています。ゆえに、この国は一体何がしたいのか。対日毀損以外のベクトルが見えませんし、近代化の恩恵を受けて百年経っても進歩がない。学ばないし、百年後にこの国が未だ在ると仮定してもおそらく進歩は望めない。そうした状態を呈しているのも、そもそも同国には無理なことなのかもしれませんが、人としての、「考える」プロセスが著しく欠落しているためです。

 そのお仲間の特殊政党もまた然りです。“政界再編”を看板の中に置いた選挙政治の成れの果てが前民主党政権の約39ヶ月間であったにもかかわらず、お仲間の懲りない亜系の皆さんのように「まだ、その夢を懲りずに見ている」。同じく学ばない、進歩がない。この先も望めない。実態を呈しているものと観ることができます。一部におかしな勢力を要する自民党にとってもまた、他山の石とすべきか一つかと思えますが。以上の傾向を脱し、良識が先祖代々の日本の背骨となり、国体を底支えし、日本を健やかに恢復して行くことを願って止みません。
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国体の護持と弥栄を!     

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敷島の路傍の紫陽花 (壁紙)(平成27年)義広撮影 敷島について

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文末挨拶 付記
武士は花を愛でる 付記

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敷島の和色465色と四季の繊細 付記
「赤文字表記」廃止の報告 付記

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