2015/05/20(水) 16:01:00 [国際時事(注意報)]

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他にやることが無いのか?
韓国の底無しの妄動、妨害


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日本の産業革命7施設 世界遺産勧告 登録阻止へ韓国がむしゃら 糾弾決議・委員国に書簡攻勢
  世界遺産入り目前までこぎ着けた「明治日本の産業革命遺産」について、登録阻止を訴える韓国がなりふり構わぬ反日攻勢に出ている、6月下旬から7月上旬にかけて開催される世界遺産委員会え最終的に登録の可否を決めるのは、日韓を含む21の委員国だが、日本は来年以降、委員国を外れるため、登録は今回が事実上の「一発勝負」だ。世界遺産がこれほど政治化されるのはまれで、政府内の緊張も高まっている。以上、産経新聞 平成27年5月19日朝刊 購入紙面(29面)より「個」の日記の資料として参照

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▼ 平成27年5月18日-24日、他の小稿として
 

お詫びと訂正
【第六稿】 田中康夫氏「人口政府予測は非現実的」
【第五稿】 ドラッグストア「朝鮮つながり」考
【第四稿】 八百長大国「韓国の黄昏」
【第三稿】
韓国「キムチ貿易赤字」と
【第二稿】 冷凍食品は大丈夫?
【第一稿】 維新混迷「官邸誤算」考

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韓国による登録阻止の動きとあらまし

 多くの皆様がすでにご存知の通り、韓国(南朝鮮)が、イコモスから世界遺産への登録勧告(4日)を受けた日本の産業革命遺産23施設のうち7施設の登録に官民を挙げて反対している。当該の7施設については、長崎市の三菱長崎造船所の3施設と端島(はしま)炭坑(軍艦島)、高島炭坑。北九州市の官営八幡製鉄所と、大牟田市(福岡県)、荒尾市(熊本県)両市の三池炭鉱(三池港と万田坑)としている。

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「7施設」表題記事より参照
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 反対の経緯の一部については当ブログも先稿で触れたが。紙面を参照しつつあらためてまとめてみると。登録勧告当日、同国外相が非難声明を発し、同日中に同国国会の外交統一委員会が非難決議を採択。続いて6日には、同委員会の委員長名で世界遺産の委員国に「登録阻止を呼びかける書簡を送った」。さらに12日には、同国の「国会本会議で日本糾弾の決議も可決」(紙面)としている。

 反対の“事由”は「1944、45年に朝鮮半島出身者が強制徴用されたと」の“主張”については、当該の7施設で“朝鮮半島出身者5万7千人が強制労働させられた”としている。紙面は、「日本が推薦した産業革命遺産の内容は1853年~1910年で、政府は「歴史的位置づけが異なっており世界遺産の価値とは関係ない問題」(内閣官房)と反論している」と。さらに「韓国側の要請で22日には日韓の局長級会議が東京で開催されることになった」と伝えている。以上があらましである。
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韓国の異様な言いがかりと政治利用

 紙面は「世界遺産がこれほど政治化されるのはまれで、政府内の緊張も高まっている」としているが。施設の史実を直ちに世界に向けて発信し、南朝鮮の蛮行を指弾しておく必要が有ろうことは云うまでもない。南朝鮮が日本の施設の世界遺産「登録」動静を“日本の政治利用だ”(要旨)と恫喝しているとのことだが、汝の一国を挙げての妨害行為それ自体が南朝鮮による「政治利用」そのものではないか。

 さらに、先稿で指摘した通り“強制労働”もその“数”も実に疑わしい内容と謂える。事実、国民徴用令によって朝鮮人の徴用が遅まきに始まったのがの1944年9月であり、翌年3月に終わっている。その短期間のうちに、しかも船舶が不足している事情下で5万7千人もの徴用者を当該7施設へ運べたものなのか、どうか。

 それ以前から自由渡航で日本へ来ていた朝鮮人の就労の形跡も見られるが、それらの数をも含めて“5万7千人”とするにもキャパシティの関係からいささか無理が有るのではないか。まして徴用は、多数の日本人が上記の朝鮮半島出身者を対象にした徴用が始める以前から応じていたのであり、何も朝鮮人に特化したものではなく、まして“強制連行”では有り得ない。まったく異様な言いがかりとしか云いようがない。
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「軍艦島に朝鮮人専用遊廊があった!」と

 資料としてもう一つ添付させていただきたい。「軍艦島に朝鮮人専用遊廊があった!」とする写真記事(Flash 6月2日号)(P73-76)だが、その中からP74の朝鮮人専用の遊郭が有った場所を含む写真と、P76の写真に関する取材記事を合わせたものを下記に添付させていただきたい。

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写真週刊誌「Flash」
平成27年6月2日号 購入誌面(上写真(P74)と下取材記事(P76)より
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 当該の軍艦島(端島)のあらましについて、誌面はこう記している。云く「軍艦島では、1890年から石炭の採掘が始まった。産出される石炭は良質で、八幡製鉄所の原料炭として供給されるなど、日本の基幹的な役割を担って来た」と。最盛期の1950年代には周囲1.2キロの島に5千300人が暮らし、世界最大の人口密度を記録」と。「ただし、1974年に閉山すると、島民が一斉退去し、無人島になった」としている。

 ご家族と共に小学6年から高校3年までの間、筑豊(ちくほう)から軍艦島に移り住んでいたとする人の証言によれば、軍艦島での生活は「仕事はきつくても、給料は筑豊よりだいぶよかったと思います」と。「父親の話によれば、3件の遊廊があり、そのうち1件は朝鮮人専用だったそうです」とある。その概要として、上記写真の「『本田』と『森本』が日本人用の遊廊、そして『吉田』が朝鮮人専用でした。朝鮮人も日本人と同じように遊廊で遊べたのです」との別証言も紹介している。

 へえ、強制連行されて来て良い給料を貰えて、遊廊でも遊べたのですか、と。南朝鮮政府が揶揄されても致し方あるまい。しかも仕事の方では、「いちばん厳しい現場」は手馴れの日本人が担当」と。それでいながら「賃金も日本人と同じように支払われていた」と。「日本人もイモ1個とかいう時代なので、朝鮮人だけ粗末な食事だったというのは事実とは違うと思います。住宅だって、朝鮮人も日本人と同じような部屋に住んでいます」との証言も紹介している。
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朝鮮人徴用者に対しても親切に接した

 以上は、あくまでも軍艦島での事例だが、朝鮮の皆さんは遠地へ働きに来てさぞ寂しかろうと。乏しい中から食べ物や衣服を分け与えたり、風呂に入れて上げたりと。そうした話の数々も、昨秋の「舛添さんという人の身元調査」で福岡県に行った我が調査隊の有志が、戦時末期の朝鮮人徴用を知っておられる高齢者の方々から伺って来ている。

 たとえば、第一次大戦で日本を含む戦勝国側の捕虜になり、九州の各施設に入ったドイツ兵をどこでも住民を挙げて厚遇した。後にドイツ人から感謝された。そうした外来者に親切に尽くす風土が福岡をはじめ九州にも有った。その風土が戦時中末期にあっても外来者の朝鮮人にも可能な限りだが、親切に接していたとする。その証言ばかりの調査報告を裏打ちする一つとして筆者は理解している。

 で、戦後になってその朝鮮人から津々裏裏で酷い目に遭わされることになった。今や国を挙げて酷い目に遭わされている現実にも心ある方々にはそろそろ気づいていただきたいところだ。表題の世界遺産登録の可否審査は6月28日からドイツで開かれる世界遺産委員会で行わえる。反対国「韓国」の存在により、委員国21カ国のうち3分の2以上の賛成が「登録」の条件になるため予断を許さない状況にある。まして、今年て日本は委員国を今年で外れるために当該遺産の登録への途は最初で最後の機会になる、との指摘もある。そこが南朝鮮の狙いと謂えるが、虚構の“歴史問題”の砕破のためにも政府の反駁、反撃を応援したい。
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■ 主な関連稿

韓国「慰安婦を平和賞候補に」考 2015/05/16 
韓国「逆上国家」の憂鬱 2015/05/14 
韓国「世界遺産登録妨害」考 2015/05/09 
韓国難クセ「和紙が無形文化遺産に決定」考 2014/11/28 
韓国「強制収容施設」考 2014/08/15
動画「朝鮮進駐軍」考 2014/05/18 
【動画】南朝鮮の実態 2014/05/15 

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事例付記 韓国軍の悪逆非道 
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事例付記 朝鮮人「強制連行」の虚構
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「在日の虚構」1 2014/06/04 
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国体の護持と弥栄を!     

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敷島の路傍の紫陽花 (壁紙)(平成27年)義広撮影 敷島について

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文末挨拶 付記
武士は花を愛でる 付記

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敷島の和色465色と四季の繊細 付記
俳句、和歌は敷島の文化 付記

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