2015/05/13(水) 10:07:00 [都市事件]

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言論に「嘘をつく」自由はないはず

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慰安婦誤報「植村隆」元記者に 欠片も反省がない「ニューヨーク講演」
 安倍晋三首相が米連邦議会で歴史的なスピーチを行ってまもなく、ある日本人がニューヨーク大学で講演に臨んでいた。聴衆を前に持論を展開したのは、朝日新聞の“誤報問題”で渦中の人となった植村隆元記者(57)である。従軍慰安婦の存在を世に知らしめた“立役者”には、その日も反省の色はナシだった。以上、冒頭より。週刊新潮 平成27年5月21日号 購入誌面(P44-45)より「個」の日記の資料として参照

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▼ 平成27年5月13日、他の小稿として

【お知らせ】 おはようございます
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「卑怯」の二文字を自証する植村隆氏

 叱られるなどし、「悪かった」と自らの非を悟ることは猫でもできる。猫でもそうして非を悟るのみならず、そこで学ぶこともできる。だがしかし、どうして人の形をした一部の生物にはそれができないのか。

 客観的に、公職に準ずる汝の事跡の「非」がすでに検証によって明らかであるにもかからわず、自身はその「非」を潔く認めず。査問から逃れ、責を問われてもそれが“人権侵害”であるかにまた逃げる。それでいながら、その一方で「事」の系譜、事情を知らない者たちの前で己の「非」の“正当化”に奔る。とすれば「卑怯」の他なく、それをさらに自証するに等しい愚行を累々と重ねるのが、この種の生物の習性といえる。
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大学講演で、自身の記事内容(朝日新聞)を正当化

 表題は、その当事者の植村隆氏(元朝日新聞記者)が、ニューヨーク大学での講演会(5月4日)で、聴衆(約80人)を前に、ご自身の“慰安婦強制連行”をでっち上げた記事内容(朝日新聞)を正当化してみせた。未だに“スクープ”であったと誇示した様子を伝える誌面(週刊新潮)である。お仲間・同類の生物系が喜びそうな言動ではないか。

 誌面は、「さらに、批判を浴び続ける記事への弁解は続く」として。「私は“だまされて慰安婦にされた”と書いているんだけど、そういうことはカットして、(官憲による)強制連行みたいに書いたと『週刊文春』という雑誌が記事にしたんです」と。「異常なことに安倍政権を応援する、サポーター的な立場である読売新聞や産経新聞まで私を攻撃しました」と。植村氏が述べた様子を伝えている。

 さらに誌面は、「古巣の朝日新聞社が設置した第三者委員会も、昨年12月の報告書でこう断じている」として。<「だまされた」と記載してあるとはいえ、「女子挺身隊」の名で「連行」という強い表現を用いているため強制的な事案であるとのイメージを与えることからすると、安易かつ不用意な記載である>と。つまり、植村氏の論旨は古巣の第三者委員会の論旨にも反している。つまりその事跡は、読売、産経に攻撃されてどうのこうの云々のレベルではなく、先ずご自身の非を認めてあらためて「始まる話」ということだ。
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中西名誉教授の指摘

 誌面は「京都大学の中西輝政名誉教授が呆れ顔で語る」として。「“強制連行があった”と主張してきた朝日新聞の主張が瓦解したいま、この発言は開き直りとしか思えません」と。「アメリカで講演活動に乗り出したのは、事情を知らない海外メディアが、彼の言い分をそのまま自動的に報じてくれるからでしょう」と。なるほど、かつて海外進出を試みたオウム真理教らカルト教団らと同じようなメンタリティというわけだ。

 さらに「植村さんを招待した大学は反対の立場の人間も呼ぶべきです。そうでなければフェアじゃないですし、単なる“反日運動”とみなされますよ」との指摘を紹介している。そのものズバリの的を射た指摘ではないか。

 誌面は、「1時間近くに及ぶ講演を終えた植村元記者は、「I will fight I cannotloose this fight(私は闘う、私はこの闘いに負けることはできない)」と声を張り上げた」としている。“負けることができない”のであれば、たとえば、嘘をつけば偽証罪が問われる「国会証人喚問」へも、招致されたら堂々と出向ける。堂々と表題の公演と同じ内容で証言できるということだな、と。そう受け止めることができるのだが。
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【筆者記』

 つくづく考える一つだが。いわゆる世に云う「自由」とは「義務」「責任」と表裏一体であり、「自由」のみが単独でフラフラと存在しているわけでは決してないはずと。そう定義する一人である。

 ノンフィクションの分野(とりわけメディア報道)での「言論の自由」は、事実にもとづいてこそ、つまり裏打ちの義務と責任に底支えされてこそ「自由」と云えるのであって、事実から乖離した嘘や妄濁を数百万人の紙面読者に放つ“自由”は存在しないはずである。まして紙面読者のみならず、おかしな国から外患を誘致する端緒をなしたとあれば、本来は「外患誘致罪」にさえ問われるべき事跡といえるのではないか。
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国体の護持と弥栄を!     

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敷島の路傍にて (月)(壁紙)(平成27年)義広撮影 敷島について

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文末挨拶 付記
武士は花を愛でる 付記

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敷島の和色465色と四季の繊細 付記
俳句、和歌は敷島の文化 付記

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