2015/04/03(金) 20:17:00 [「博士の独り言」維持委員会]

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「武士は食わねど高楊枝」の謂れ

 島津座長がよく引用される喩えの一つとして、「武士は食わねど高楊枝」の話(昨年の座長挨拶)から転載させていただきます。正攻法過ぎるところがもしかすると短所かもしれませんが、この人の凄いところは単なる綺麗言を並べるのではなくて、一つ一つそのものの生き方をしているところです。だからもの凄く説得力が有りますし、若い人たちもごく自然に率直になれるんですね。路傍の猫たちからも慕われています。博士の独り言維持委員会 顧問 濱中 健太郎
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武士は食わねど高楊枝

 武士は食わねど高楊枝。この喩(たとえ)については皆様もすでにご存知のことかと思います。武士たる者は、たとえ生活に窮(きゅう)して食事すら満足に出来ない状況に在ったとしても、満腹を装って楊枝を使うとの謂(いわれ)です。

 よく「やせ我慢」を表す意味に用いられているようですが違います。そのより深くは人として在るべき思慮と気位を謂います。たとえ生活に窮することが有っても不義、不行には手を染めず。この受け継がれて来た美徳を表すものであり、我々先祖代々の日本人の品位の高さを武士の気位に約した喩えの一つとも謂えます。 実際に幾多の先人はそうして来られたのです。

 我々は基本的に、物事、事象を構造的にとらえ、諸事を関連付けて認識することを基本の是としています。たとえば空腹時に、目の前に饅頭を出されても即座に手をつけずに、それが毒饅頭であった場合も含めて、その先に有り得るリスクにも思慮をめぐらせることができます。それがまた「高楊枝」のスタンスであるとも謂えます。
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カルトに籠絡される人は

 但し、中にはふとして油断から、あるいは我欲の襟首をつかまれ、カルトや在日系らの看板などにツーショット利用されるなどし、本来尊くあるべきご自身の途を違えてしまう姿が有名な方々の中に散見しますが、残念なことです。

 窮しても「恥」に身を染めず、物事の筋道を違えることはしない。その先には国害をなすおかしな団体やカルト教団が手ぐすねを引いているかもしれませんし、我が身はそれらの世話にはならず。敷島人の美徳に照らす誇りありと。高楊枝をくわえていれば良いと。おそらくこの信条は、多くの国思う皆様がごく当たり前に共有しておられる信条と拝察しております。

 そこにまた、英邁に事象を見抜く日本人の特質を発揮できるのであります。以上、余談になりましたが、地道ながらもあらゆる国害に騙されず、籠絡を許さず、先祖代々の誇りある毅然とした日本を築いてまいりましょう。

(平成26年8月10日 「敷島民間防衛会議」(調査隊勉強会)挨拶より)

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国体の護持と弥栄を!

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敷島の路傍にて
(壁紙)(平成27年)義広撮影 敷島について
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文末挨拶 付記
武士は花を愛でる 付記

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敷島の和色465色と四季の繊細 付記
俳句、和歌は敷島の文化 付記

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