2015/03/25(水) 23:31:00 [メディア報道の闇]

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テロ事件で助かった女性について

 【読者】 チュニジアのテロ事件で助かった女性について、週刊新潮の最新号は「防衛省が嘆いたチュニジアテロ被害女性の臆病と感傷」と書いているようです。事件から生還できた人に対しては皆で慰労して、心のケアに協力して行くのが日本人だと思うのですが、博士はどう思われますか。

(以上、いただいたご投稿(25日)より)

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▼ 平成27年3月25日、他の小稿として

朝日取材テロ「あなたに断る権利はない」
湯たんぽのお礼
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まさに仰る通り

 貴重なご投稿をいただき感謝します。先稿で誠に僭越ながら、一命を取り留められた被害者(女性)の気丈さを讃えました。読者がご指摘のように、事件からの生還者は皆で慰労して、その後の心のケアの手助けをすべきではないかと。私もそう思います。

 週刊新潮の記事の方は、明日(26日)拝見してみないと何とも云えませんが、ご指摘の題名に沿った内容であるとすれば、果たして、と私もそう拝考するのかもしれません。
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クリップしたくなる記事はごく一部

 週・月刊誌の誌面について、一般紙面には無い情報、事柄を掲載しているという認識から誌面をクリップし参照させていただくことが有ります。

 しかし、これは新潮誌面に限らず、文春等でもまた同様と拝考しますが、最近の誌面の多くは「何だかなあ」と思ってしまう記事が意外に多くを占めているかに映る。いわば、クリップしたくなる記事はごく一部ということです。
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讃えるべき「気丈さ」

 先稿でクリップさせていただいた女性(結城法子氏)の手記は、状況をごく率直に書かれているのではないかと拝考します。問うべき一つは、一般感覚では想像を絶するような長時間の銃撃戦に巻き込まれたとすれば、通常、頭の中が真っ白になるのではないでしょうか。しかし、その翌日にあれほどの手記を書いて事件の様子を伝えてくれた。女性がですよ。その気丈さをむしろ讃えるべきではないかと思います。

 個人的にですが拙き身も、赴任時代に約20メートルほど先の街路でマフィアと警官の銃撃戦を目の当たりにした経験が有ります。ピストルの撃ち合いであり、チュニジアのテロ事件とは規模が比較にならないほど小さいものでしたが。「パーン」という一発の銃声でさえ大きな音がしますし、物陰に隠れた通行人の中には驚いて失禁していた人もいたほど、映画などの「造られたシーン」とは異なるものが有ります。

 ましてや結城氏がその真っ只中に置かれた銃撃戦の様子を推察すれば、想像を絶する心への切迫感、が有ったのではないかと拝考します。果たして記事を書かれた記者なり、ライターなりが同じような経験を経られた方なのか、どうか。「痛み」を知らない他の感覚で書かれたりしてはいないか、など。

 たとえば、フィギアスケート選手のトリプルアクセルでの転倒を揶揄するような記事を書くけれども、「じゃあ、あなたはトリプルアクセルを跳べるの?」と尋ねるべき人と同じような視座ではないか、とこうも拝考できるケースも有ります。問わせていただきたい一つは日本人本来の重厚な思慮です。私自身もまた、日頃心がける一つと自戒しているつもりですが。
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お詫びと訂正2015/03/26
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国体の護持と弥栄を!     

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敷島の桜花
(壁紙)(平成27年)義広撮影 敷島について
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文末挨拶 付記
武士は花を愛でる 付記

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敷島の和色465色と四季の繊細 付記
俳句、和歌は敷島の文化 付記

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