2015/03/16(月) 11:07:00 [付記事項]

20140420003    
貴方はメディアを批判しているくせに

 【メッセージ】 貴方はメディアを批判しているくせに、メディアの記事を貼ってブログを書いています。その態度は自語相違も甚だしいのではないですか。

(以上、いただいたメッセージ(平成27年3月7日)より)
-------

▼ ご投稿の対象稿

【事例】 カルトのメディア支配 2015/03/06
----------

「キーワード」「キーアイテム」を拾うために

 メッセージをいただきました。当ブログのスタンスはご指摘には当たらないですね。ブログに記しているように、メディア報道と関する紙面や誌面のクリップは、事実掘り下げのための「キーワード」や「キーアイテム」を拾うための参照資料にするためです。この“記事を広めよう”とか、“拡散”を煽っているわけでもなく、その内容が「事実とすれば」とし、または紙面(誌面)にはこう書かれている「けれども」との起点を置いて相応の掘り下げを行っています。

 その一歩は、皆様が紙面(誌面)に「読まれない」ために、テレビに「観られない」ために、その意味で良識に有って良いスタンスではないでしょうか(要旨)、との問いかけを込めています。

 言い換えれば、たとえば、新聞はこう書いている「けれども」、テレビはこう言っている「けれども」、しかし私はこう考察(洞察)するという事実掘り下げの在り方が、組織、団体には無縁な大多数の我々の眼に有って然りではないか(要旨)、との問いかけになります。特に、この重要性を旧来の読者の皆様には重々理解しておられ、以上を踏まえられて、これこれこの事件では「私はこう観ているが、博士はどう思うか?」とか。あれこれあの事例を通じて「私はこう考えるが、博士の考えを聴きたい」等の投稿をお寄せ下さっています。
----------

新メディアを設けても

 メディア対策の改善案の一つとして、事実を報じる新メディアを設ければ良い。あるいは、既存のメディアのどれかを買い取ってそのように改造すれば良い(要旨)、という声が有ります。考え得る一つ一つとしてそれらが無為とは云いません。しかし、それらも組織である以上は、たとえば、当ブログで別途問うて来たカルト対策や在日対策を講じなければ、それらもまた「人がおりなす組織」である以上は、結果、既存のメディアの多くと同じようになってしまう。

 まして既存のメディアを買い取り、その中に存在するカルトや在日外国籍者を回顧するとすれば、この日本も欧米並みの訴訟多発社会になりつつあり、規模相応の費用と法廷闘争を覚悟しなければなりません。それらがもしも仮にスムースに進むとしても、年間少なくとも数億、数十億円以上に上るで有ろう運営費用は誰が出すのか。広告料やCM料で一部を賄うとしても、その相手には在日、通名用日企業やカルト系業者が数多と存在しています。

 「こういうものが有ったら良いのに」という発想はやはり受け身であり、極端な話、ジャンボ宝くじが当たったらこうしてああして、という話と本質は変わらない。それよりは、最も重要な一歩として問うべきは、メディアがそうなら我々個々の側がしっかりとして眼を持てば良いし、費用がかからないメディア対策になる(要旨)、という発想の転換です。それなら心有る皆で共有できるでしょう。
----------

発想の転換について

 発想の転換と謂えば。おそらくは、当時の欧米ソの研究機関を感嘆せしめた我が国のロケット工学のパイオニア・糸川英夫先生(東京大学)が著書を通じて世界に問われた言句ではなかったかと拝考します。

 たとえば、戦後からそれほど歳月が経っていない日本には殊更に潤沢な予算が有るわけではなく、欧米のような大規模な実験施設を設けることも至難でした。そこで糸川先生はそれこそ発想を転換され、今も語り草となっているペンシル型ロケットを考案され、初期の実験に用いられた。極めて小型のペンシル型ロケットで板を打ち抜く実験それ自体には、欧米ソのような大規模な費用もかからず、たとえ実験に失敗しても爆発をしかも大規模に発生させる心配が無い。

 極めて小型だけれども、しかし「原理」はロケットと同じで実験で得たデータも数学的に十分処理し得るものであったと先達諸兄からこの身も学生自分にあれこれを伺っています。同じ敷島人の我々であれば、メディア対策における発想の転換も重々なし得ることです。百年経っても進歩が無い。学ばない。“慰安婦”一辺倒のどこぞの国と根本的に異なるメンタリティ、人間力が我々には有るのです。
----------

【筆者記】

 以上に慨する「敷島人の眼」の大切さについては、たとえば、平成24年7月7日(静岡県)での講演(ボランティア)で一通り指摘させていただいた通りです。当日、瑣末な身が三時間立ち放しでお話したのでさぞ「変な奴」と思われたでしょうね。国思う調査活動で負った足の骨折が未完治であったたためで、イスに座るとさすがに激痛が走る。尻尾を踏まれた猫のようになってしまうため、その体たらくが皆様にバレないようにと。
----------


国体の護持と弥栄を!     

20150306002      
水瓶の 底を洗いて 縁側に 並べ干すなり 春の光に 
敷島の路傍にて
(壁紙)(平成27年)義広撮影
(試作中の義広カメラII にて) 敷島について

-----
文末挨拶 付記
武士は花を愛でる 付記

-------
敷島の和色465色と四季の繊細 付記
俳句、和歌は敷島の文化 付記

----------

携帯からも応援を↓
http://blog.with2.net/link.php?1627008

↓応援くださる方はクリックを!   
20140420003   

Trackback

トラックバックURLはこちら