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2015/01/12(月) 16:25:53 [路傍の街角から]

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路傍の日の丸

 祝日の今日、折からの寒風にもめげず路傍に日の丸を拝見できたことを有り難く思い、小稿にクリップさせていただきます。

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湘南台東口交番(筆者)
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 小田急線沿線駅の中でも、高座渋谷駅東口では祝日に日の丸が掲揚されています。さすがは相模渋谷氏有縁の地です。

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高座渋谷駅東口(筆者)
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 最寄りの大和市消防署でも、日の丸が掲揚されています。

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大和市消防署(筆者)
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 そしてバスも日の丸を掲げています。

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神奈川中央交通(筆者)
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 次の祝日にはもう少し各地を周ることが出来ればと思いますが、路傍各地の日の丸に感謝しつつ、成人の日のお祝いを申し上げます。

平成27年1月12日

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小講 「日の丸」は日本人の宝

 一般に、「お天道さまのもとで正直に生きる」。それが日本人である、とよく謂われます。まさに、一切を照らし育む。その太陽のもとに、真っ直ぐに生きて来た。それが日本人の誇りであります。上古の時代から「日本」と謂う国名が用いられて来たことも、その何よりの証左と謂えます。

 その旗印として、太陽をかたちどった日章旗がごく自然に形成された、と考察して良いでしょう。現存最古の日章旗とされる1つに、山梨県甲州市(旧塩山市)の裂石山雲峰寺所蔵の幟がよく知られているそうです。この日章旗には、第七十代後冷泉天皇(1045年即位)より源義光(新羅三郎)へ下賜されたという伝承があり、「御旗」(みはた)と呼ばれ、義光の系譜に続く甲斐源氏宗家の甲斐武田家に家宝として伝来しています。その真偽のほどは不明、とされていますが、当時から日章旗が存在していたとしても不自然ではありません。

 また、古き時代の日章旗とされるものには、奈良県五條市(旧西吉野村)の堀家に伝わる第九十六代後醍醐天皇(1318年即位)下賜の幟がよく知られております。江戸時代にいたり、日本船の船籍旗としても日章旗が用いられていた記録が数々の屏風絵などで確認できます。そして、嘉永7年(1854年)3月の日米和親条約調印後に、日本船を外国船と区別するための標識が必要となり、日本国共通の船舶旗(日本惣船印)を制定する必要が生じました。


 その時に、薩摩藩主であった島津斉彬が案出し、幕府海防参与であった徳川斉昭らの進言によって、「日の丸」の幟を用いることになりました。同年7月9日、その旨が老中の阿部正弘により布告され、古来からの日章旗が、ここで公式に日本国の国旗となりました。
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国旗案出の事由

 島津斉彬が国旗を案出した事由については、一般に、当時の鹿児島城内から見た桜島から昇る太陽を美しく思い、これを国旗にしようと家臣に申し渡した様子が伝えられています。しかし、そもそも義久、義弘の代から家紋に太陽を意味する真円を配しており、十文字(十徳を表し、十徳とは人としてのすべての徳を謂う)を日輪で囲んでおります。その意義、すなわち日本人の本来の品位と特性を表す、との心から国旗を案出した、と推察しても不自然ではないでしょう。後裔の一人として誇りに思う次第です。

 日章旗とは、元来、歴史の上で、かくも尊く深い淵源と意義を持つ国旗です。勿体なくも日章旗をとかく乱暴にあつかい、罵声によって毀損する集団が随所に見られますが、この尊い意味を知らず、あるいは、むしろ日本を恨み毀損を目的とした仕業と明確に認識し、私たち日本人は、日章旗を粛々たる日本人代々の宝として大切にすべきであります。「お天道さまのもとで正直に生きる」。この先祖代々の日本を心から誇りに持ち、毅然とした日本を築いてまいりましょう。

(国思う講座(平成22年4月17日開催)より)

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国体の護持と弥栄を!     

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敷島の桜花(壁紙)(平成26年)義広撮影 敷島について
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