2011/08/20(土) 07:17:17 [「博士の独り言」復刻記事]

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平成19年12月30日付メモより復刻
韓国よ、自国の史実を学べ

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丙子胡乱で虜囚となった朝鮮人60万人の苦難
【新刊】チュ・ドンシク著『朝鮮人60万人奴隷になる』(学古斉)

 1636年の丙子胡乱(清が李氏朝鮮に侵入し、朝鮮を制圧した戦い)で仁祖が清の太宗に降伏した後、およそ60万人の朝鮮人が捕虜として連行された。崔鳴吉(チェ・ミョンギル)は、「清軍が降伏を受け入れ、丁丑年(1637年・仁祖15年)に漢江を渡るとき、捕虜として連れて行った人は50万人余りだった」と書いている。丁若(チョン・ヤギョン)は、「瀋陽に 連行されたのは60万人で、蒙古軍に捕まった人はこれに含まれず、どれだけの数になるか分からない」と記した。当時の朝鮮の人口は1000万人程度だった。全人口の6%が戦争捕虜として連行されたというわけだ。(中略)  元言論人で、金永三(キム・ヨンサム)政権で政務・広報主席、文化体育部長官を務めた著者は、1980年代初め、米国ハーバード大で研修中に衝撃的な話を聞き、研究を始めたという。大学のある人権セミナーの結論で、次のように語られたのだ。「韓国は17世紀にも清の要求に従い、自国民を供出するかのように、毎年数十人ずつ献上していた国だ。時代が変わったとはいえ、このような国で今さら人権を手に入れることができるのだろうか」。朝鮮日報12月30日付記事より参照のため抜粋引用/写真は「日韓併合前(左)と併合時代(右)」写真館より参照のため引用
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自国民を献上した李氏朝鮮の史実

 ご存知の通り、丙子胡乱は、国号を「清」と改めたいわゆる支那が、同朝皇帝の即位を認めない朝鮮に大軍を以って軍事侵攻し、同国を制圧した戦いであった。1637年に降伏の和議が交わされて以来、朝鮮は 2世紀半の長きに渡り、「清」への隷属を強いられたのである。「清」との和議により、毎年、『黄金100両、白銀1000両の他、牛3000頭、馬3000頭など20項目余りの物品を毎年献上した。毎年美女3000人も献上したとされるが、詳細は不明だが、実際は、8才~12才までの少女の献上が確認されるだけである』(Wikipedia)とある。

 献上の規模や内容の詳細については諸説によって差異があり、専門家の検証に委ねるしかない。表題記事の数値についてもまた同様と思われる。だが、その2世紀半の長きに渡り、金品と併せて自国民、とりわけ婦女子を「清」に献上していたことは、共通して指摘される点である。それが年々、および250年にも渡るとあれば累々たる数に上るに違いない。

 現代でいえば、この宗主国と族国の両方に顕著な「人権問題」が指摘され得るはずだ。米国下院議会に、韓国民のために、議員10人の出席により60年以上も前にあったとする“性的奴隷”の「対日謝罪要求決議」を“採択”し。あるいは、同様に、90年以上前のアルメニア人虐殺に関し「当時のオスマン・トルコ帝国を非難する」決議案を“採択”する“寛容性”が有るならば、いっそのこと、370年遡(さかのぼ)り、両国に対する「謝罪要求決議」でも採択したらどうか。ふと、そうさえ拝察したくなるおぞましい史実である。
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朝鮮人を「物」としてあつかう

 表題に云く、『朝鮮人捕虜の生活は凄惨を極めた。一冬の間に2000里を超える道を歩かされ、清軍から鞭で打たれ続けた。凍えた体を鞭で打たれたため、皮膚が裂けて血が滲んだ。そして捕虜は奴隷市場に売られて行った』と。

 そして、云く、『清の人々は男女を問わず、朝鮮人捕虜の衣服を剥いで健康状態をチェックした後、代金を払って奴隷を買っていた。奴隷を売買する市場を目にした荘献世子は、『瀋陽状啓』において「(代金を支払って捕虜の身を免れる)送還費用として要求される代価の値段は測り知れない。多ければ数百もしくは数千両にもなり、人々は皆希望を失い、泣き叫ぶ声が通りに溢れ返っていた。毎日館所の外で泣いて訴えており、残酷でどうにも見ていられない』と同書に記されているとある。

 言葉は悪いが、「清」にとっては、乱終結時の朝鮮人捕虜や、その後の朝鮮からの「献上」で手に入れた人間を「物」としてあつかっていたことは事実であろう。“歴史認識”を正しく持つのであれば、自国の、しかも2世紀半に渡るこの「歴史」から学び直すべきだろう。

 同記事には、同書の著者が『『朝鮮王朝実録』をはじめ、当時のあらゆる資料に記されていた事実を土台として、朝鮮の人々の受難の歴史を語る。朝鮮の女性キム・プンナム、白丁(賤民の中で最下位に位置する人。と殺業などに従事)キル・ヨンボクといった下層階級の人物を登場させることで、生き生きとした情感を増したが、すべてにおいて事実を土台に据えた』とある。

 あまりに生々しいために、「史実小説」というスタンスで読者を広めようとしているようだが。著者のチュ・ドンシク氏は、『金永三(キム・ヨンサム)政権で政務・広報主席、文化体育部長官を務めた』人物とのこと。記事に紹介されているこの著者の言葉が印象的である。云く、『韓国は17世紀にも清の要求に従い、自国民を供出するかのように、毎年数十人ずつ献上していた国だ。時代が変わったとはいえ、このような国で今さら人権を手に入れることができるのだろうか』と。現状では困難だろう。
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朝鮮を隷属から救った日本

 日本は、その「清」を日清戦争で打ち破り、下関条約(1895年4月17日)の調印を以って、朝鮮を独立させたのである。同条約の第1条には、『清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。(第一条)』と明記し、ここで朝鮮は「清」への隷属から解放されたのである。その後、ロシアをはじめ数ヶ国による干渉が度を増し、1910年の、大日本帝国と大韓帝国との間で「日韓併合条約」締結(8月22日)となった。この日韓併合に際し、当時の日本にとっては、朝鮮半島の「併合」は、膨大な労力と費用を投じるのみでさしたるメリットも無く、「支那、ロシアから隣国の韓国を保護する」意図以外に目的はなかった。

 この「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて日本が大韓帝国を併合し、朝鮮は正式に「日本国朝鮮地方」となった。巷間で意図的に呼ぶ“植民地時代”ではなく、日本の「一地方」ゆえに、日本政府は莫大な予算を投入し、朝鮮の近代化に尽力したのである。「日本国朝鮮地方」には、5000校を超える学校をはじめ、必要な各種設備、医療設備、道路他の多数のインフラを構築したのである。近代教育の教育の中でハングルを必修として、文字を用いる文化を提供。日本人による朝鮮史上初の「朝鮮語辞典」(朝鮮日報2004年2月27日付が報じる)が生まれたのもこの時代である。人を国家の基本として重視する日本は、朝鮮半島の医療と衛生環境を飛躍的に向上させ、半島の人々の平均寿命の伸長にも貢献したのである。

 こうした資金や資材などの「物的支援」に終わらず、「人的支援」「技術支援」も同時に行った時期が「日韓併合」時代である。この日本の献身的な努力と貢献により、また、戦後にも提供した多大な支援により、朝鮮半島には“奇跡”と呼ばれるほどの発展をもたらされたのである。後に、昭和40年(1965年)の「日韓間相互の請求権の破棄」の取り決めにおいて、「両締約国(日韓双方)は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」とする戦後の「日韓基本条約」を締結。

 日本は「謝罪」「賠償」する筋合いには全く無いのである。しかし、日本は、同条約の締結に際し、日本国の好意から、この日本統治時代に建設し、空襲も受けずに残ったインフラを代償を求めずに提供している。時価に換算(試算)して16兆円とも、20兆円とも指摘されている。朝鮮半島にとって、「清」への隷属に伏した約「2世紀半」と、日本の一部となった約「35年間」と比較すれば、どちらの時代が文明国家へと歩み出す基礎となったか。真正の歴史を再学習し、その上で、胸に手を当ててよく考えるべきであろう。恩義を「仇」、また「仇」で返される筋合いも無い。
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【筆者記】

 終戦時において、日本人に対して朝鮮人がなした暴虐の数々を紐解くべし、と読者のみなさまから推奨をいただいている。残虐な事例で溢れていることを再確認させていただいている。後稿にて。
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 以上、平成20年2月20日のメモより復刻
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■ 参考記事: 「強制連行」の虚構
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【筆者追記】

今後の参考資料として復刻

 日本防衛チャンネルの、時系列的な資料作成(再構築)の一環として、先日より、折々の合間にですが、今後の参考のため、消失していたメモ(「博士の独り言」記事)の復刻を進めています。本記事は4年前のものですが、今後の参考のため、先原稿と併せて復刻させていただきます(14稿目になりました)。

 今夏、唐突な「菅談話」こそ発生しなかったかに映りますが、現下の民主党政権が続く限り、多少のタイムシフトはあるとしても、売国施策の数々は同党のミッション的な施策として何時発生しても不自然ではない状況と観ております。特に、党が窮地に在りながらも、人権侵害救済法案提出へ向けての、さまざまな水面下偽装がその危惧を物語っている。 3年前の表題の事例は、闇法案の国会提出と併せて、「亜」の意図にのっとった国辱とも指摘すべき「訪韓」など、陛下の政治利用までが起こりえる予証と指摘でき、そこを端緒とするかのような売国・賠償政策の横行を危惧させるものです。

 良識による反駁・阻止を願い、民主党はじめ特殊政党の毒性や闇法案の危惧を指摘してまいると共に、同類の病巣を有する「亜」の毒性についても、諸事多き今月は、引き続き、小稿のように、消失していたメモも復活・報告させていただきたく考えております。 
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日本は毅然とあれ!         

20110820002          
路傍にて
(筆者)
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