2014/05/10(土) 16:10:00 [事例付記]

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事例付記
韓国軍の悪逆非道 資料2


20140510007 
韓国軍はベトナムで何をしたのか 虐殺と凌辱 ゴダイ集落に何が起きたか
 ベトナム戦争当時の韓国の指導者は、陸軍少尉の時にクーデターを起こし、軍事独裁政権を樹立した朴正煕大統領だった。現在の朴槿惠大統領の父親だ。彼は30万人以上の韓国兵を戦地ベトナムに送り込んだ。そこで起こった「虐殺と凌辱」――。娘の朴氏は、その不都合な真実から目を背けている。以上、冒頭より/ 週刊ポスト 平成26年4月4、11日号 購入誌面(P38-40)より「個」の日記の資料として参照

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週刊ポスト誌の「現地取材」による記事

 誌面によっては、新聞、テレビがさして報じない情報やキーワード、事実を内包するものが有る。当資料で参照する誌面もその一つと認識できる。韓国(南朝鮮)軍によるベトナムでの蛮行が誌面の「現地取材」よってその事例が新たなに明らかになった、とする点に着目し、先稿に続いて当ブログの「事例付記」参考資料の一つとして小稿をここに起こす。

 以下に、同特集の第二回、第三回分を添付紹介するが。この「事例付記」を史実「ライダイハン」関連の事例を問う際の、小稿への随時添付の資料の一つさせていただきたい。
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軍事独裁維持のための参戦

 韓国のベトナム戦争派兵の事由に言及している箇所である。要するに、朴槿惠現大統領(2014年5月10日現在)の父親である朴正煕氏(当時大統領)の保身と体制維持のために米国からの経済援助を受けるための派兵と観られるが、しかし、通常国の派兵ではなかった。結果、ベトナムの非武装民に対する虐殺、凌辱に明け暮れたのであった。

(以下、誌面より)

 韓国軍のベトナム戦争時の蛮行を詳報した本誌前号(3月28日号)の記事<韓国軍はベトナムで何をしたのか>が大きな反響を呼んでいる。その多くは「知らなかった」「韓国にも戦争加害者の過去があったのか」といった声だ。日本はもちろん、韓国でもほとんど取り上げてこなかった韓国現代史のタブーだから、多くの読者が驚いたことは当然といえる。

 ベトナム問題に詳しいフォトジャーナリストの村山康文氏は、ベトナム現地取材を通じ、ベトナム戦争における韓国軍による民間人の無差別殺戮や女性の性的陵辱といった戦争犯罪について、多くのベトナム人から直接の証言を得てきた。

 ベトナム中部クアンナム省にある小さな農村のフォンニャット村周辺では、74人の村人が殺害された。当時14歳だったトワン・ヴァン・ディエップさん(60)は村山氏の取材にこう語っていた。

 「韓国軍は戦闘とは無関係な民間人の村民を無惨にも次々に殺し、民家に火を放って村を焼き払いました。私は目の前で両親と弟を射殺され、あの日、私の親族だけで6人が殺された。あの光景はいまでも忘れることができません」

 虐殺だけではない。ベトナム女性が韓国兵士に輪姦される陵辱事件も多く起こっていたことも、多数の証言により浮かび上がった。

 韓国兵とベトナム女性との間に生まれた子どもは「ライダイハン」と呼ばれる。ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する。戦争終結後、ベトナムに流入した韓国人と現地女性の間に生まれた子どもも多いが、韓国兵の性暴力によって生まれたライダイハンが少なからずいるのも事実である。

 ベトナム戦争といえば、共産主義陣営の北ベトナムと、資本主義陣営の南ベトナム及びそれを支援したアメリカによる戦争というイメージが強い。韓国軍が米軍に次ぐ規模で参加していたこと自体、日本では一般にあまり知られていない。

 産経新聞ソウル駐在特別記者の黒田勝弘氏が解説する。

 「米・韓・南ベトナム側からすると、韓国軍はよく戦果を上げる勇猛な部隊として知られていた。当時、ベトコン(北ベトナムの兵士)から最も恐れられたのは韓国軍だといわれています。韓国にとってみれば大韓民国が成立して初めての海外派兵。アメリカや世界に存在感を見せるため、精鋭部隊を送り込んだ」

 韓国政府がアメリカ政府からの要請を受けベトナム派兵を決定したのは64年。当初は医療部隊など、南ベトナム政府軍の後方支援に限定した派兵だったが、65年10月、戦闘部隊の大規模派兵を決定する。そして韓国は64年から73年までに延べ32万人を派兵。万を越える兵を派遣したのはアメリカと韓国だけである。

 なぜそこまで韓国はベトナム戦争に深く関わる必要があったのか。それを読み解くには、当時の韓国社会の状況を知る必要がある。

 朴槿恵・現大統領の父・朴正煕氏が陸軍少将の地位で軍事クーデターを起こし、韓国大統領に就任したのは、ベトナム派兵決定の前年だった。軍事独裁体制を敷く朴大統領の権力基盤はもちろん軍隊。だが当時、アメリカは韓国の兵力を削減する計画を進めていた。

 韓国人ジャーナリストが説明する。

 「朝鮮戦争の休戦協定を受けて54年、共産圏である北朝鮮や中国の脅威から韓国を守るため、アメリカが韓国軍の軍事費をサポートすることになった。しかし、それから10年ほど経つとアメリカは韓国軍維持に巨額の財政支出を難色を示し始める。そして、米政府は韓国軍と在韓米軍を合わせて計25万人を削減する案を韓国に提示した。

 それに対し、自らの権力基盤が弱体化すると思った朴大統領が焦った。そこで朴氏は”対反共戦争”への参加、つまりベトナムへの大軍派兵に踏み切って、軍の温存に成功した」

 さらに朴氏は、派兵の見返りとしてアメリカからの軍事装備の提供や訓練費のアメリカ負担など、安全保障を強化する支援も得た。実際、軍事援助額はベトナム戦争中に大幅に増加。それまで2億ドル未満だった軍事援助額は68年に3.8億ドル、69年には4.8億ドルにまで膨れ上がった。

 派兵の理由はそれだけではない。

 「65年の日韓協定締結を控えて大規模な反政府デモが起きるなど、政権批判が強まっていた。そこで国外のトピックに国民の目を逸らせる必要があった。いずれにせよ、派兵は朴大統領の軍事独裁体制を維持するための手段だった」(同前)

(以上、誌面より)

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強姦されて生まれた混血児

 以下に、誌面は「ライダイハン」の事実に言及してはいるが、しかし、それも取材し得た範囲内の数例に過ぎず、まさに氷山の一角と謂えよう。だが、事例が少なくとも数千、ひいては数万におよぶとの指摘も有る数多の「ライダイハン」の実態が、韓国(南朝鮮)人の侮辱的な性犯罪によってもたらされたものであることは、数例を知るだけでも他例を推察するに有り余る陰惨が窺える。

(以下、誌面より)

 ベトナム中南部ビンディン省の省都・クイニョンにほど近い「ゴダイ集落」は、韓国兵の暴虐が最も苛烈を極めた地だ。66年1月23日から2月26日にかけ、集落全体で380人もの民間人が殺された。ベトナム国内では<ゴダイの大虐殺>と呼ばれ、いまだ民族の悲劇として語り継がれている。

 同集落にあるタイヴィン村に住むグエン・タン・ランさん(62)は、15発もの銃弾を受けながら奇跡的に一命を取り留めた。同村を襲撃したのは韓国陸軍・首都ソウル防衛師団「猛虎部隊」だった。

 「100人を超える韓国兵が襲撃したのはまだ朝靄の残る9時頃でした。怒声とともに彼らは村の1軒1軒のドアを足で蹴破ると、屋内にいた人間の髪の毛を?みながら引っ張り出し、全65人の村人を1カ所に集めました。韓国兵は一斉掃射で私たちを皆殺しにするのではなく、銃で追い立てて数人単位のグループに分かれさせ、4、5人ずつ集中砲火を浴びせ殺していくという方法を取りました。私の両親や親族も私の眼前で殺されました。

 その最中、中に若い女性を見つけると、寄ってたかって引きずり出し、地面に乱暴に転がした。そして私たちの目の前で輪姦し始めたのです。乱暴の限りを尽くされ、すでに微動だにしなくなった娘を、最後には撃ち殺した」

 韓国軍の手による、もうひとつの名高い事件が「ハミの虐殺」。68年2月25日、南ベトナムのクアンナム省ハミ村で、海兵隊第2旅団「青龍部隊」が女性、子ども、老人を含む135人の村人を殺害した事件だ。

 そのハミ村に青龍部隊OBを名乗る一行が訪れたのは12年3月のことだった。


 前出の村山氏が話す。

 「2年前の訪問時に一行は現地ベトナム人にあるペーパーを渡しました。そこには『もっと早く来るべきだった。僕たちの胸深くに刻まれた懐かしさと残念な気持ちを、ここにある花崗岩に刻むべきだった』との一文がありました。真意は不明ですが、自分たちが犯した罪深い行為に対する悔悟の念とも読めます」

 村山氏はライダイハンの家族からも貴重な証言を得ている。ビンディン省に住むヴォー・ティ・マイ・ディンさんは15歳の時、同省クイニョンの韓国軍基地に就職した。150人ほどの韓国兵が駐留する食堂でメイドとして働き始めてから5年後、20歳の時のことだった。いつものように仕事を終え、人気のない食堂で後片付けをしていた時だ。

 「突然、複数の韓国兵士が背後から襲い掛かり、彼女をテーブルの下に引きずり込んだそうです。その後、4、5人の兵士が次々と彼女を蹂躙した。『韓国兵のことは思い出したくない』と彼女は口を閉ざし、これ以上は話してくれませんでしたが、この時の輪姦によって彼女は男の子を身篭り、息子は現在43歳になるということでした」(同前)

 韓国の市民参加型ニュースサイト『オーマイニュース』に証言を寄せたベトナム人女性ホンさん(66)も基地内で集団輪姦されたひとりだ。

 <ベトナム戦争当時、米軍基地の掃除や飯場で仕事をしながら生活費を稼いでいた。ある日、韓国兵の席を片付けるよう命じられ掃除をしていると、ひとりの兵士が『お前、オレンジジュースを飲むか?』と訊ねてきた。何の疑いもなく、差し出されたジュースを飲むと、そのまま気絶した。目が覚めると、服が脱がされていた。そして自分が輪姦されたことに気付いた>(『オーマイニュース』より抜粋)

 後日、妊娠が発覚し、ホンさんはライダイハンを産む決意をする。娘は学校で苛められ、ホンさん自身も”韓国兵に輪姦された女”という評判が影のように付いて回り、苦労に苦労を重ねた人生だったことが語られている。

 しかし、彼女の証言には自らを憐れんだり、韓国兵に対する恨み節はない。

 ベトナム戦争当時にサイゴン支局長を務め、ベトナム文化にも造詣が深い元朝日新聞記者の井川一久氏が言う。

 「韓国には『恨(ハン)』という文化が根付いているが、ベトナムは違う。過去を恨むことは恥だと考えます。ベトナム人には被害を”誇り”にするような文化はないので、性的被害に遭ったことも自分からは告発したりしない。声高に賠償を求めることもありません」

 前出の黒田氏が続ける。

 「ベトナムは92年に韓国と国交正常化を果たしましたが、これまで韓国に謝罪や反省、補償を求めたことはありません。それだけではない。ベトナムは60年以上も自国を植民地支配したフランスにも謝罪や補償を要求したことがない。

 でも、これが国際関係の常識です。歴史認識に固執して、対話や交流、協力を疎かにするのは国益を損なうばかりで賢明じゃないというのが国際スタンダード。韓国よりも経済的に劣るベトナムの方が成熟した思考や態度を備えているのは皮肉なことです」

 韓国政府はいつまでこの事実を隠蔽し続けるのだろうか。

(以上、誌面より)
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民間人虐殺、レイプは韓国で「絶対のタブー」になっている

20140510008
韓国軍はベトナムで何をしたのか 「真実」を書いた記者は退役軍人に襲撃された! 民間人虐殺、レイプは韓国で「絶対のタブー」になっている 本誌が2度にわたって現地からレポートした、べトナム戦争時に韓国軍が行った蛮行。それは韓国国民こそ向き合うべき問題だ。だが、彼らの社会でそれが語られることは、タブーになっている。長期にわたった軍事独裁体制、そして退役軍人らによる暴力も辞さない言論封殺。そこには、韓国社会が内包する病理が見える。以上、冒頭より/ 週刊ポスト 平成26年4月18日号 購入誌面(P46-49の内 P46-47)を「個」の日記の資料として参照

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火を放ち、車両を破壊

 己に都合が悪い事実はタブー化する。いずこの国でも幾分かは有り得ることと拝考はするが、しかし、問うべきはその軽重、浅深である。南朝鮮、ひいては支那のそれはエゴイズムの粋を極めたかに極惨であり、焚書坑儒(支那)の伝統さながらに小中華と揶揄されている南北朝鮮でも顕著である。都合悪く邪魔者とみなした存在への暴力、圧力がそれをよく物語っているのではないか。

(以下、誌面より)

 民間人に大量の銃弾を浴びせ、若い女性は強姦後に殺害――。ベトナムで残虐の限りを尽くした韓国兵の蛮行について、本誌は前号、前々号と2度にわたって現地からのレポートを掲載し、大きな反響を得た。


 日本の読者に衝撃を与えたのも無理はない。そもそも、当の韓国社会でさえ、その事実が知られるまでには、多くの時間を要した。

 きっかけは、ベトナム戦争終結から24年後の1999年5月、ハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)が行なった報道だった。

 ベトナム通信員として活動していた韓国人の女性研究者が、ベトナム当局から資料を入手し現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒したのである。


 この記事が当時、韓国社会に与えた衝撃はすさまじいものがあった。

 同誌はその後も定期的に続報を打ちキャンペーンを張ったが、新聞やテレビなど大メディアによる後追い報道はほぼなかった。自国の暗部を暴いたことで保守層から大きな反発を招いたからだ。特に、ベトナム戦争に参加した退役軍人たちは同誌に対し、猛烈な抗議活動を行なった。

 彼らの怒りが頂点を迎えたのが翌年(2000年)の6月だった。迷彩の戦闘服を着た約2400人もの退役軍人が、ソウル市内中心部にあるハンギョレ新聞社の前に集結した。

 「ベトナム民間人虐殺の報道が、戦友たちの名誉を失墜させた」と主張し、同新聞社を糾弾するデモと集会を開いたのだ。

 だが、集会後も怒りの収まらない一部の軍人たちが暴挙に出た。角材などを振り回しながら新聞社の社屋に突撃。窓ガラスを割り、デスクやパソコンなど編集部内の物を次々に破壊していったのだ。

 韓国人ジャーナリストがいう。

 「彼らの狙いは新聞社の制作機能停止でした。パソコンなどだけでなく、輪転機を破壊し電力供給線も切断。新聞や雑誌の印刷を停止させた。さらに新聞を運ぶ貨物車を炎上させたり、新聞代金の領収書の束を数千枚も積み上げ火をつけたりと暴徒と化していた。

 彼らは“ベトコン(南ベトナム解放民族戦線の兵士のこと)を民間人だというハンギョレ新聞社は赤(共産主義者)だ!”という垂れ幕を掲げていた。殺した相手は民間人ではなく、ベトコンだったと主張し虐殺を正当化したかったのでしょう。そこで、新聞社を自由主義の敵と見なし、暴挙に出たのです」

 その場にいた新聞社の記者や従業員たちも暴行を受け、10人以上が負傷。社屋は彼らによって半日間占拠され、同社の幹部らは監禁された。

 6000人余りの警察が投入されたことで、ようやく事態は沈静化。その後、暴力行為で4人が逮捕された。

 この暴動の主体となった団体は、主にベトナム戦争の退役軍人で作られる『大韓民国枯葉剤後遺症戦友会』(以下、枯葉剤戦友会)だった。

 この枯葉剤戦友会は朴槿恵(パク・クネ)大統領への絶対的な支持を表明している有力な政治団体だ。2011年に開かれた「枯葉剤戦友会14次定期総会」には、与野党の多くの政治家が自ら出席を打診した。しかし枯葉剤戦友会から拒否され、唯一、招待された政治家が朴氏だった。


(以上、誌面より)

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20140510009
週刊ポスト 平成26年4月18日号 購入誌面(P46-49の内P48-49)より
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「戦場で会えば殺している」

 言葉は悪いが「殺す」「消す」との恫喝は、ささやかな調査隊活動に対しても折々に受けている。その言を発する者は決まっているかのように特亜の賊、通名帰化系らである。

(以下、誌面より)

  ベトナム戦争では延べ32万人の韓国兵が派兵され、ベトナム人を大量殺戮した彼ら自身も無傷ではなかった。米軍機がベトコンを密林からあぶり出すために上空から散布した枯葉剤を浴び、後遺症に苦しむ元軍人たちが集まり枯葉剤戦友会が結成された。

 会員数は現在14万人。韓国政府により「枯葉剤後遺症」と認定された約6万人と、その疑いがある「後遺疑症」とされる約8万人からなる。

 ただし、彼らは単なる「被害者団体」ではない。韓国国内としては、最右翼、最保守団体に位置付けられ、たびたび暴力を辞さない過激なデモ行為を行ってきた。

 先の韓国人のジャーナリストが声を潜めて言う。

 「団体を構成するメンバーは最前線で戦った海兵隊出身者が多く、ハンギョレ新聞社襲撃のように武力行使も辞さない。どんな報復をされるかわからないので、舌鋒鋭いジャーナリストでも、この団体を敵に回すことは絶対にしない。


 ハンギョレ新聞社の報道後、韓国でもベトナム戦争の真実を追求するシンポジウムが開催されることがあった。しかし、会場には迷彩服を着た同団体関係者と思しき人で埋め尽くされ、実行委員会側の人間に対して”ベトナムでは民間人でもベトコンを支持した人間は殺さなくてはいけなかった。それに異を唱えるお前らも戦場で会えば殺している”という脅迫を行っていた。警察当局ですら尻込みするような屈強な男たちに脅されて怖くないはずがない」

 先の『ハンギョレ21』で記事を執筆した女性研究者は、母国での活動に危険を感じ、ベトナムに移住している。本誌は電話やメールなどで彼女への接触を試みたが、締め切りまでに返信はこなかった。

 このように、韓国軍が行った「ベトナム戦争での蛮行」は韓国社会にとっては、最大のタブーといえるのだ。韓国人の多くがベトナム戦争での虐殺と陵辱に対しての知識が少ないのは、保守派の「言論封殺」の結果なのである。

(以上、誌面より)

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報道の自由がなかった

 事実露呈については、そのきっかけ、経路が先ず何であれ、また、いかなる思想系であれ、「真」「偽」、「正」「誤」の検証に耐え得るものであれば「事実」に他ならない。その視座から露呈した「ライダイハン」の事実、ひいては南朝鮮軍によるベトナムでの悪逆非道の事実それ自体は、焚書坑儒さながらい思想、信条で消せるものではない。

(以下、誌面より)


 そもそも韓国に「言論の自由」が生まれたのはごく最近の90年代後半だった。70~80年代にかけて続いた「反共産主義」の軍事政権下では、政府にマイナスの報道は一切できず、マスコミ報道への弾圧もあった。

 ベトナム戦争派兵を決定した朴正煕政権下では、新聞社に中央情報局(KCIA)の部員が常駐し、記事を検閲していた。掲載する記事の内容や扱いは、政府がつくった「報道指針」というマニュアルに従わなければならず、そこに真っ当なジャーナリズムは存在しなかった。

 日本の新聞社のソウル特派員が明かす。


 「もちろん当時の韓国は曲がりなりにも民主主義化していたし、この報道規制に不満をみせる記者もいた。75年、韓国の三大紙のひとつである『東亜日報』の記者180人が、”自由言論実践宣言”を発表し、情報部員の立ち入りを拒むという事件を起こしました。この結果、記者は当局に連行されることとなっただけでなく、政府は広告主に圧力を掛け、広告出稿をストップさせた。東亜日報は当初、広告欄を白紙にして発行するという対応を取り、ジャーナリズムとしての矜持を見せた。日本の新聞労働組合連合などもカンパを送ったが、経営が立ち行かなくなり、運動の中心にいた記者らを解雇することで政府の制裁から逃れたのです」

 この後も政府とマスコミの戦いは続く。80年には記者らが新聞を作らないという「制作拒否」で政府に対峙。しかし、政府は新聞社と放送局を強権的に統廃合するなど再編成という強引な策に出た。この騒動で約700人の記者が解雇されたという。

 こうしたマスコミ制裁は、クーデターで朴正煕が暗殺されてからも変わらなかった。全斗煥、盧泰愚とベトナム戦争で指揮官を務めた元軍人が大統領を歴任した軍事政権下で、継続されていったのである。

 「ベトナムで戦果をあげた彼らが政権を担う以上、韓国兵によるベトナムの民間人の虐殺やレイプについて報じられることはあり得なかった。大きく変わったのは98年に金大中が大統領に就任してから。長く軍事政権に弾圧されてきた彼が政権を取って以降、報道の自由というものも生まれてきた。そこで、99年の『ハンギョレ21』の記事のように、”韓国軍がベトナムで何をしたのか”が、少しずつ明らかになっていったのです」(同前)

(以上、誌面より)
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真実を曲げる極左団体

 悪逆の事実露呈の経緯には、南朝鮮を決して文明国とは認識し難い様々な内紛、騒然、混沌などが輻輳(ふくそう)している状況があからさまだ。さればこそベトナムでの悪逆非道をなしても平然と来れたのではないか。自国民はおろか他国民の安全、命までさして重要とみなさない南朝鮮(ひいては北朝鮮)に対しては、「友好」「交流」の相手とするよりは、むしろ、対ソマリアやテロ国家と同様にみなし国防の対象とすべきであることはブログの方でも問うて来た通りである。

(以下、誌面より)


 最も政府に代わって圧力を掛ける枯葉剤戦友会のような存在もあるため、ベトナム戦争におけるタブーは依然として横たわったまま。報じたのは一部のメディアのみだった。

 そんな中、今年に入り新たな動きが出てきた。


3月7日、女性の権利と世界平和を目指し世界各国で記念行事が行われる『国際女性デー』(毎年3月8日)の前日、韓国の市民団体がタブーに触れたのである。

 これまで日本に対し、慰安婦問題を追及してきた『韓国挺身隊問題対策協議会』(以下、挺対協)が、韓国人による「ベトナム人女性に対する性暴力や民間人虐殺」について、「韓国政府が真相を究明し、公式謝罪と法的責任を取るように」と訴えたのだ。

 90年に設立され、現在の会員は3000人ともいわれる同団体は、日本大使館の前に慰安婦像を作り、毎週水曜日に大使館前でデモを行う、いわば慰安婦問題の急先鋒。なぜ、その団体が韓国政府に対して不利となるベトナム戦争の虐殺を持ち出したのか。


 慰安婦問題に詳しい東京基督教大学教授の西岡力氏が言う。

 「彼女たちは一見、虐げられてきた女性の人権を守る立場のようにみえるが、実態は反米、反日、反韓国、親北朝鮮の左翼団体。ベトナム戦争もその題材のひとつというわけです。彼女たちは敵を貶めるネタは何でも利用する。先の会見は、最近韓国の左派メディアがベトナム戦争時の韓国軍の虐殺を取り上げ始めていて、それにのっかった”政府叩き”でしょう」

 この団体は、”北朝鮮と密接な関係”がたびたび取り沙汰されている。代表である尹美香氏の夫と義理の妹は、93年に北朝鮮のスパイとして国家保安法違反で逮捕された過去を持つ。さらに、北朝鮮の慰安婦団体と共同声明を出し、政府から”違法行為”として行政処分も受けている。韓国の公安当局も捜査の対象としているほどだ。

 先の西岡氏が言う。

 「彼女たちは日本政府に個人補償の支払いを求めているが、戦後補償問題は、65年の日韓基本条約で解決しているのです。日本政府は無償3億ドル、借款2億ドルもの資金を提供したが、その後も挺対協などが公的補償を迫ったこともあり、日本は『アジア女性基金』を立ち上げ、民間からの寄付で『償い金』を払うことを決めた。ところが、元慰安婦らの多くはカネを受け取らなかった。挺対協が彼女たちに”カネを受け取ったら売春婦に成り下がるから受け取るな”と脅したのです。

 韓国内の良識派学者が指摘していることですが、挺対協としては、日本を攻撃するための道具として慰安婦問題を利用しているのです。挺対協が存在しなければ、日韓における慰安婦問題は既に解決していた可能性も高い」

 朴槿恵大統領は、この極左団体の言動に迎合するかのように、慰安婦問題では日本を牽制し続けている。「80年代以降、親北勢力が韓国内で親北民族主義歴史観を拡大し、朴槿恵の父親である朴正煕大統領に”親日派”だとレッテルを張り批判してきた。朴槿恵は父親と同じことだと思われることを避けるため、声高に反日的な発言を繰り返すのです。


 ただ、挺対協は、こと北朝鮮の問題になると口をつぐむ。人権問題をいうのであれば、脱北者問題や拉致問題、さらには、”将軍様の喜び組”などは至急、問題にすべき内容でしょう。それを無視しているのだから、彼女たちが主張する慰安婦問題、ベトナム戦争問題が、どこまで韓国社会に受け入れられるのかは疑問です」(西岡氏)

 挺対協にとっては、ベトナム戦争の虐殺や強姦と慰安婦問題は同じ。自分たちの利権のために、政治利用しているに過ぎない。

 韓国軍がベトナムで起こした蛮行は許されざる行為であり、韓国社会が向き合わなければならない歴史問題のひとつといえる。しかし、この問題の周辺で蠢く団体のいかがわしさが障害となり、韓国市民は真実から遠ざけられている。

 元軍人の言論封殺や極左団体の利権主義により歴史が捻じ曲げられる韓国に、”史実”について語る資格があるのだろうか。

(以上、誌面)
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 以上、少々長くなったが、今後の、ブログ小稿への折々の添付のための事例付記の稿として恐縮ながら、事例を積み重ねて稿をなし、また稿を積み重ねて事象の証明に資する研究者の論旨展開の一環としてのこととご理解をお願いし、事例付記の小稿の一つとする。
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事例付記韓国軍の悪逆非道 
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付記「言わずが美徳」は通用しない対外事情
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付記 国際表記にもとづく「支那」「朝鮮」表記
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国体の護持と弥栄を! 

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敷島の路傍にて(紫陽花)(平成26年)義広撮影
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