2011/08/01(月) 13:42:51 [メディア報道の闇]

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赤い絆で結ばれた菅首相と朝日新聞

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菅直人と朝日新聞の薄気味悪い「交響曲(シンフォニー)」 「ゲリラに戻れ」(主筆)「菅降ろしは気にくわない」(論説委員)と堂々と書く神経を疑う  興味深い誌面を手にしたので、小稿にクリップさせていただきたい。博士の独り言/写真は週刊ポスト記事(切り抜き)8月12日号誌面(P32-35)より2頁(P32-33)資料として参照のため引用
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菅首相擁護に転じた「朝日新聞」論調

 表題は、良きにつけ悪しきにつけ、どちらかといえば「反権力」の立場にあったはずの朝日新聞が、ここのところ菅首相擁護に転じたかのような怪しげな論調を連発。しかも、菅首相の公邸にも出入りしている。その“変節”はなぜか(要旨)、と問う記事である。

 旧来の読者のみなさまはご理解いただいていることかと感謝しているが。あらかじめ申し述べておきたいことは、あくまでも参照のため、「事実とすれば」として、さまざまな誌面をクリップさせていただいてはいるが、自らの声でなす指摘や洞察、論考の端緒とさせていただくためであり、後の意見書や資料の作成に際しての、参考メモの1つとさせていただいている。いわゆる、ブログに誌面を貼り付けて「それで終わり」とするものではさらさらないので、さらなるご理解を賜れば幸いである。
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「ゲリラに戻れ」記事論旨は、江藤淳氏寄稿に類似

 誌面は先ず、「菅さん、この国会できっぱりと官邸に見切りをつけるがいい。バトンは怨念にとらわれない世代に渡し、自らはゲリラ議員に戻って脱原発で動き回る。それがいま、一番ふさわしい道ではなかろうか」(朝日新聞7月25日付・若宮啓文主筆の記事より)との記事を引用。対して「薄気味悪い」として、「この論理に従えば、菅氏は「小沢」や「原発」という巨悪と戦う闘士であり、その戦いに敗れた指導者は「ゲリラに戻って」動き回れというのである」と。

 さらに、「これを読んで、「おや」と思ったマスコミ人は多かった。有名な14年前の産経新聞に掲載された寄稿文。「帰りなん、いざ‐小沢一郎君に与う」(江藤淳氏筆)とよく似ていたからである」(誌面)と指摘。「大朝日新聞の主筆が、この有名な寄稿文を知らないはずはない。当時新進党の党首であった「小沢」を「菅」に、そして江藤氏を自ら(若宮主筆)に置き換えて大上段に振りかぶってみせた、という推測も奇抜ではないだろう」と同誌面は揶揄(やゆ)している。

 人名や名詞を置き換えるだけで記事が出来上がることで、朝日新聞の定型文は広く知らているようで、ブラックユーモアからか、ネットにも空欄にそれらを入れるだけで朝日新聞の“記事”が出来上がる、との幾種類かの定型文を例にした作成ツールが公開されていたことがあった。その意味で、誌面が揶揄の先に示唆するかの可能性もまた否定できないのかもしれない。
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怪しげな記事の数々

 それはともかく、「より大事な点は、文筆家が寄稿した文章と、新聞社の主筆が書く「社論」を同列に扱うわけにはいかないということだ」と指摘している。いわば、「私」の文章と、本来、「公器たるべき」メディアの幹部が書く文章とでは、その社会的な重さがまるで異なるという指摘に違いない。

 その格段の「重み」を以って、朝日新聞は、いよいよ菅首相「擁護」に出たのである。たとえば、「「菅降ろし」の過熱ぶりに、私は強い違和感を覚える。(中略)ふだんは立場の違う政治家やメディアなどが寄ってたかって行きずりおろす様子は、溺れる犬をたたくようにみえて気にくわない」(7月14日付「『菅おろし』にみる政治の病」松下秀雄論説委員)」と。さすがに「ちょうにち」とよく揶揄される紙面さながらに、“溺れる犬は棒でたたけ”との朝鮮のことわざをベースにしているようだが、どうも怪しげである。

 確かに、罪もない存在を「引きずり下ろす」「叩く」のであればアンフェアに違いない。だが、菅首相の場合は、「公」の最たる立場にありながら、その言動は支持率“アップ”を意図したかの数々のパフォーマンス、虚言やごまかし、思いつきの空政策や国民への責任転嫁に満ち満ちている。「辞めろ」コールが起きても致し方ない状況を首相自らが造出している現実を見逃してはならないのではないか。

  「ここは、勝負どころだ。首相の座を去る前に、脱原発へ強いメッセージを出してはどうか。七転び八起きの「八起目」で、思い切り「虎の尾」を踏んでみるのも一つの決断だと思う」(6月18日付「菅氏の八起目 脱原発へ『虎の尾』踏み込め」星浩編集委員)と。菅氏の「脱原発」への“変節”については後段で指摘させていただくが、どうやら、この「脱原発」の三文字が菅氏と朝日新聞を強く結びつけたのではないか、と誌面は考察しているが。それはともかく、誌面は、「菅氏と親しいある朝日幹部は、すっかり“政権中枢”気取りで同僚や周囲に自慢たらたらである」と事例を挙げて怪しげな動向を指摘している。
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菅氏が「脱原発」にいたった経緯

 以前は、「様々な負の側面を抱えているとはいえ、ポスト京都議定書の削減目標を達成するには、今ある原発を活用せざるを得ない」(平成21年5月6日付「社説」)との記事例を引用し、朝日新聞も「震災前は原発推進派だった」と同誌面は指摘している。

 一方、菅氏についても、「菅さんの『脱原発』は付け焼刃の政策。焚きつけたのは辻元清美さんです。6月15日に孫正義氏やNPOが参加した『再生可能エネルギー促進法案成立!緊急集会』に熱心に誘った(辻元事務所は否定)。菅さんは大して興味はなかったが、実際に脱原発をいうと国民のウケが良かったので、一気にのめり込んだ(民主党中間派議員)」との「証言」を紹介している。

 事実とすれば、いわば、いつもの政治的パフォーマンスの一環に過ぎず、従って、国策とするには内容が及ばない、具体的な代替エネルギーや将来ビジョン、ひいては中身それ自体が乏しい「脱原発」であるのも致し方ないことか。
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真っ赤な「人脈」を政治基盤とする菅氏

 「脱原発を謳う団体、集会には、菅政権を裏で支える新左翼などの人脈が支援する新左翼などの人脈が根を張っている。実現性を無視して煽る運動は要注意だ(政府の情報担当スタッフ)」との証言を紹介し、結びに、かつて、「麻生太郎元首相が演説で、「菅直人はベ平連、仙谷由人は全共闘」と批判したことがある」として、「菅氏の素顔」に言及している。

 菅氏ご自身が「ベ平連」に参加していたことを語ったことはない、としているが、伸子現夫人も参加しており、「各地の学園祭に『やきそば屋台』を出店して独自の活動資金と活動家を集めて来た。共産党や社会党のような政治組織化した左翼ではなく、ゲリラ的な団体を足場にして来た政治家である(学生時代からの知人)」(誌面)とのこと。なるほど、それで若宮主筆(朝日新聞)の「ゲリラに戻れ」との記事の意味が確認できるのかもしれない。

 その「ベ平連」は、基本的に旧ソ連からの資金提供で活動していたとされ、創設者は、「菅氏を「脱原発」に導いたとされる辻元氏が主宰した「ピースボート」の運営に関わった。そのグループには「赤軍派」の元大物もいた。そこに、「新左翼運動と深い関わりを持つ」者が多い「朝日人脈との接点もあるという」と記している。政治家となる以前も、以後も赤い人脈の中で生息して来た菅直人氏は、もうすべてが「赤」であることが判る。現下、指摘されている北朝鮮関連団体との昵懇もその必然の果てと謂えよう。

 貧相な政治思想は国家財政の「赤字」を促進し、国家運営をいよいよ「赤信号」へと転じてしまう。生来、「赤」をすでに見慣れてしまっておられるためか、国民から「レッドカード」を突きつけられてもお目に入らないのかもしれない。
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【筆者記】

 先稿で指摘させていただいた通り、朝日新聞は、中国共産党の機関紙「人民網(人民日報)」の提携和紙である。コラムや記事の相応部分は、「人民網」(日本語版)のそれらと同じ文面であることもその現実を示す1つと謂えよう。また、社説や幹部筆の記事には、中国共産党の対日解放(侵略)工作をもととした見えざる“指示”が常に反映されており、手前味噌な偏向や上記のような唐突な“変節”が観られるのも、それゆえである。

 対日解放工作要領には、「第2.マスコミ工作」に、「今日では、新聞、雑誌を含め所謂「マスコミ」は、世論造成の不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団の意思が世論を作り上げるのである」として、「偉大なる毛主席は 「およそ政権(国家)を転覆しようとするものは、必ずまず世論を作り上げ、先ずイデオロギー面の活動を行う」 と教えている」としている。菅氏、総じて菅氏を逆利用するかのように党ぐるみの政権延命を謀る民主党は、まさに“宗主国”の傀儡、体現者とも指摘できよう。

 「脱原発」については、後稿で重々検証させていいただくが。いわゆる他国技術の「パクリ」と自前の大事故、その後の隠蔽を国是とし、ただでさえ、故障した原潜の核燃料や原子炉、船体を平然と海洋投棄し、以前の核実験でもアジアに多大な放射能汚染を配した中国共産党政府が、今度は、現在11基の原発を「2020年」までに実に100基へと増設する原発計画を有していることを報じるメディアが、余りに僅少に過ぎるのが気がかりである。
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 ブログの日頃の論旨につき、ごく当たり前の筋道に照らして「おかしい」、「変だ」と洞察し、意見書のメモとしてみなさまに報告させていただき、その病理を問う。これが「博士の独り言」のスタンスであり、今後も不変です。

 事実の指摘は決して悪口には該当しません。「公人」や「公器」の擬態や欺瞞、矛盾に対する指摘は、それが事実であればことさらに「悪口」の類ではなく、むしろ、さらに事実を掘り下げるために不可欠な指摘です。事実を淡々と指摘すれば、「なるほど、そうか」と気づく人もまた意外に多い。ごく普通の日本人が、ごく当たり前の「言」を発して行く。事実を即した、その共有が広がるほどに、また日本は毅然と恢復する、その素地を取り戻していくに違いありません。

 事実の共有はすべての第一歩です。正論は事実から生まれ、良識の声は必ず力になる。良識による日本防衛を切に願い、国害と指摘すべき諸事項に対し、覚悟の上で取り組む国思う活動を応援くださり、辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。
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日本は毅然とあれ!       

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路傍にて(筆者)
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