2012/11/25(日) 07:55:00 [明るいニュース]

   
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強い日本、美しい日本の代名詞
浅田真央選手がGP10勝目

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浅田真央が優勝、GP10勝目 男女1、2位独占   ↑ 浅田真央選手に応援のクイックを!
 フィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第6戦、NHK杯第2日は24日、宮城県セキスイハイムスーパーアリーナで男女のフリーなどを行い、男子はショートプログラム(SP)で首位だった17歳の羽生結弦(宮城・東北高)が合計261.03点で、女子もSPトップの浅田真央(中京大)が185.27点で優勝した。浅田は日本人最多のGP10勝目。産経新聞Web) 平成24年11月24日付記事より資料として参照のため引用
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男子、女子共に1、2位独占

 宮城県で開催のフィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第6戦(NHK杯第2日)で、日本選手が男子、女子共に1、2位独占との快挙。祝意を込めて拍手を送りたい。

 競技史を紐(ひも)解けば、つい四半世紀ほど前までは、佐野稔(1977年世界選手権3位)、渡辺絵美選手(1979年世界選手権3位)など、優秀な選手を輩出しながらも、どちらかといえば、日本選手にとって「世界の壁」が立ちはだかる種目であったかに拝察できる。だが、1988年のカルガリー大会(冬季五輪)に初出場した伊藤みどり選手(同大会8位)が、翌1989年の世界選手権で優勝。1992年のアルベールビル大会では惜しくも優勝こそ逃したが堂々の2位(銀メダル獲得)。同種目で日本選手の存在感を新たに世界へ示すことになった。
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いよいよ増す、日本選手層の厚み

 いよいよ日本の実力を世界へ示す新たな端緒を開いたのは荒川静香選手であった。2006年トリノ大会(冬季五輪)で圧倒的な高得点で優勝。当時、その荒川選手をも脅かす存在でありながらも、出場資格を得るための年齢の下限に届かず、出場が適わなかった浅田真央選手であった。

 2010年のバンクーバー大会(冬季五輪)に出場した浅田選手は、圧勝が期待されながらも2位(銀メダル獲得)となった。韓国選手に有利な採点方法がとられた、との指摘が各方面からなされながらも、そうしたプレッシャーとハンデを負う状況下でも堂々の2位と謂え、勝利への期待をソチ大会(2014年冬季五輪)へつないだ。

 また同大会の男子種目では、髙橋大輔選手が3位(銅メダル獲得)となり、且つ、男子女子共に上位を占め、日本選手の層の厚さを世界に世界に示す段階に入った。さらに新鋭選手が続々と登場し、今回(GP第6戦)の男子フィギアスケートで、優勝候補の高橋選手(2位)の得点を上回って1位となった羽生結弦(17)も、その一人と謂えよう。

 世界でも屈指の選手が集まって競うグランプリ(GP)で、前人未到の10度目の優勝を果たし、羽生選手と共に日の丸を中央の挙げた浅田真央選手もまだ「22歳」。幾多の激戦の中には、薄氷を踏むかの勝利や辛勝は有って然りである。それでこそトップアスリートはさらに強くなる。成せば成る。この敷島人伝統の底力を見事に世界に示す浅田真央選手はじめ、比類なき層の厚みを有する同種目の日本選手団に心より敬意を表し、これからもエールを贈りたい。
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路傍にて(筆者)  敷島のよき初冬哉
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