一期一会の心
2015/04/02(木) 19:51:00 [「博士の独り言」維持委員会]
一期一会の心
「一期一会」に触れられた島津座長の講義から転載させていただきます。当時、私は高校生でして直に聴講した一人です。別途、敷島人の潔さと思慮を凝縮した「一期一会」の心は武士道の根幹をなす一つでもあるとの講義も聴講しました。静かに話される島津座長には、あたかもタイムスリップして本当に武士に出会ったような肝の据わった清廉さというか、感動を覚えました。「博士の独り言」維持委員会 齊藤直哉
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おもてなしの心
私事ながら、やんちゃに育った身の修養を兼ね、みなさまと同じ中高校生の時期でしたが、茶の湯を定期的に習っておりました。正直なところ、身に多少の窮屈を覚える。そうした感慨は当初は否めませんでしたが、正座の基本から諸々に在るべき所作の一つ一つを学ぶ。それらを通じて、先人が「道」として確立した日本人の心、美学をそこにまた一つ学ばせていただいた思いがしました。
あくまで私なりにですが、茶道で心奥深く学ばせていただいた一つに、「間」の取り方があります。本来、おもてなしの心は、相手方へ対する思慮が凝縮された日本人の美徳の一つと謂えます。その、おもてなしの中で重要な一つが「間」の取り方であります。ほんの束の間であっても、この「間」が実はとても大切なのです。
また、それが茶の湯でなかったとしても同様であろうかと思います。たとえば、ごく通常の日常の中で、来客にお茶を差し上げる。そうした時に、忙しさのためか、急須に湯を注ぎ、そのまま湯呑(ゆのみ)に注(つ)いでおられる事例をよく見かけます。しかし、そこで、遠路より来てくださったお客様を労(ねぎら)いつつ、あるいは、世間話でも良いと思います。湯を注いでから二十秒、三十秒、四十秒と「間」を置く。
その束の間に急須の中で醸成された緑茶は、直ぐに注いでしまうものと比べれば、同じ茶葉であっても、また、急須や湯呑は同じものであっても、より香り豊かな奥深い味になっているはずです。ここに「間」の大切さがあると謂えましょう。たとえ同じものであっても、ああ、美味しいと。来客をより快くおもてなしする。ここにも奥深い思慮の心がある。
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一期一会
そして、ふと心に思慮を尽すのは何故か。それは「一期一会」のゆえであります。悲観的なお話をするつもりは決してありません。しかし、現実に、たとえ親しい関係に在る人であったとしても、結果、その時にお会いしたのがそれで最期となった。こういう事例は世に数多とあろうかと思います。ゆえに、ごくありふれた再会のようであってもそれをまた「一期一会」と心して、また可能な限り、親しき間柄にも礼あるべきとの思いも心の奥に併せ持って、心のこもったおもてなしを差し上げるべきかと思います。
その心を以ってすれば、ごくごく平凡に感ずるような日常の中に在っても、たとえば、ご家族そろって食事を共にする時であってもその一時(ひととき)の大切さ、無事の有り難さ、嬉しさを日々新たに心の中に再確認して行けるものと思います。この心もまた先祖代々の日本の伝統でもあります。どうか、みなさまにおかれましては、ご両親を大切に、ご家族を大切に、そしてご自身を大切に、新たな日々を心豊かに迎えていただきたく、心より願う次第です。
(以上、平成23年5月30日「青少年講座」より)
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