2015/03/10(火) 21:40:00 [事例付記]

20140420003    
韓国軍の自国「非武装民」虐殺

20071204003 
NYT紙、韓国戦争の民間人虐殺でインタビュー記事掲載
 
2007年12月2日付の米ニューヨーク・タイムズは、朝鮮戦争中に起きた自国の民間人虐殺事件についてのインタビュー記事を国際面トップで掲載。「韓国で発掘される戦争の恐怖」と題した記事は、歴史の中に埋もれていた民間人虐殺が韓国の過去史真相糾明委員会によって明らかになったとした上で、生存者と目撃者のインタビューで構成されている。
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 同紙には地面のくぼみに人々を追い込み集団処刑する場面など2枚の写真が掲載されており、一部生存者が米軍による民間人虐殺を215件証言したことなどを報じているが、米国防総省のベルク報道官は「米軍が韓国戦争で民間人を虐殺したという新たな情報はない」と否定した。朝鮮日報 2007年12月4日付記事より参照のため引用/写真は「朝鮮戦争中の目撃事例の検証、およびその後の発掘調査により、1,222件の信憑性が高い大量殺人の事例が(これまでに)識別されている、としている。この保存写真は、1951年4月、大邱(韓国)の近くで韓国憲兵隊が掘った穴の中で政治犯を射殺する場面」The New York Times Web) 2007年12月3日付記事より「個」の日記の資料として参照
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1000件以上確認された「自国民虐殺」

 朝鮮日報の記事(表題)には、その後の調査も含めて見出されたとニューヨーク・タイムズ紙が記す「1,222件の信憑性が高い大量殺人の事例」がすっぽり抜けている。米軍によるものと指摘される事例「215件」が有るのみだ。虐殺を米軍へと転嫁しているかにも映り、朝鮮日報さながらのすり替えと指摘できよう。。

 ごく単純に計算しても、これまでの「信憑性が高い大量殺人の事例」として検出された「1,222件」から、韓国の言い分そのままに「米国によるものと思われる215件」を差し引いたとしても「1,107件」もの事例が残る。これらについてはどう説明するのか。ニューヨーク・タイムズ紙(同12月3日付)の記述を見てみよう。

(以下、抜粋引用)

 South Korean troops executed tens of thousands of unarmed civilians and prisoners as they retreated in advance of the North Korean invaders during the war, according to historians. The victims were often accused of being Communist sympathizers or collaborators.

 The commission’s investigators have discovered the remains of hundreds of people ? including women and children ? who were killed without trial. They have also identified 1,222 probable instances of mass killings during the war.


 The cases include 215 episodes in which survivors say American warplanes and ground troops killed unarmed civilians.

(要訳)

 歴史専門家によれば、朝鮮戦争中に北朝鮮の侵攻の前に退却を余儀なくされた韓国(南朝鮮)軍は、(退却の途上で)何万もの非武装の民間人と囚人を処刑。犠牲者が、共産主義の支持者、または協力者がみなされていたことがしばしば非難の対象となった。委員会は、その戦禍に無関係の何百もの遺体を発見し、その中に婦女子も含まれているか調査した。その調査の経過で、戦争中の大量殺人と識別できる1,222件もの(民間人)虐殺の可能性が高い事例を検出している。その中には、米軍戦闘機と同軍の地上部隊が、非武装の民間人を殺したとの生存者“証言”にもとづく215件のエピソードも含まれているが。

(以上、引用)
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自国民を騙して虐殺

 後年のベトナム戦争への南朝鮮軍参戦における、同軍による婦女子を含むベトナム民間人大虐殺の史実は近年広く知られるようになった。事例の中には、キャンデーやタバコで誘って現地人を一ヶ所に集め、一斉射撃で殺害したとみられる非道極まりない事例も指摘されている。朝鮮戦争当時も、同国内でさながらの騙し行為が横行していた様子。

(以下、引用)

 In one 1950 atrocity, according to evidence presented to the commission, South Korean police officers intent on ferreting out Communists disguised themselves as a North Korean unit before entering villages around Naju, near Hampyong. When people welcomed them with Communist flags, they killed 97, the commission said.

(要訳)

 1950年の残虐行為の1つは、委員会に提示された証拠によれば、共産党員を捜し出すことに余念がない南朝鮮の警官が、Hampyongの近くのNaju周辺の村に入る前に北朝鮮のユニットに変装。(北朝鮮のユニットと思って)人々が共産主義の旗を振り、変装警官らを歓迎した時に97人を殺害した、と委員会は報告している。
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  Mr. Kim, the former soldier, admitted that he was in charge of executing 170 people at Hoengsong and Wonju around June 28, 1950.

(要訳)

 キム氏(元韓国軍兵士)は、自身が、1950年6月28日頃に、Hoengsong、およびWonjuで170人の処刑を担当していたことを認めた。

(以上、引用)
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20071204004 
 「これらの自国民殺害が不法であったことを認める委員会の採決(2007年11月19日付)によって犠牲者の遺族の不名誉は晴れたとされるが。しかし、殺害犯が生存している限り遺族の心は満たされることはないであろう。 (The New York Times 2007年12月3日付)
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「併合時代」に日本が多大な貢献

 近年の南朝鮮の論調は、殊に「日韓併合」時代を「悪」とする風潮が蔓延している。これは韓国による「日本敵視政策」以外の何ものでもなく、韓国自身による「歴史の歪曲」である。

 日本による「植民地支配」は存在しなかった。存在したのは「日韓併合」の歴史のみである。明治43年(1910年)に、大日本帝国と大韓帝国との間で「日韓併合条約」が締結。朝鮮半島は日本に併合されたのである。

 当時の日本にとり、朝鮮半島の「併合」は膨大な労力と費用を投じるのみで特に大きなメリットも無く、支那、ロシアから「隣国の朝鮮を保護する」以外にさしての目的はなかった。その歴史を“植民地統治”と南朝鮮は主張しているが、仮に、百千万歩譲って“植民地統治”であったとしても、さしたる天然資源も無く、農奴と野盗が大半を占め、世界一の極貧国であった朝鮮半島から搾取するものは何も無かったのである。

 1910年8月22日、「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて日本が大韓帝国を併合し、朝鮮半島は正式に「日本国朝鮮地方」となった。日本の「一地方」としたがゆえに、日本政府は莫大な予算を投入し朝鮮の近代化に尽力したのである。その「日本国朝鮮地方」には5000校を超える学校をはじめ、必要な各種設備、医療設備、道路他の多数のインフラを構築。近代教育の教育の中でハングルを必修として、文字を用いる文化を提供。人は国家の基本として重視し、医療と衛生環境を飛躍的に向上させ、朝鮮半島の平均寿命の飛躍的な伸長に貢献したのである。
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自国政府にこそ「謝罪」「賠償」を請求すべき韓国国民

 こうした資金や資材などの「物的支援」に終わらず、「人的支援」「技術支援」も同時に行った時期が「日韓併合」時代である。この日本は献身的な努力と貢献により、また、戦後にも提供した多大な支援により、朝鮮半島には“奇跡”と呼ばれるほどの発展をもたらされたのである。

 後に、昭和40年(1965年)の「日韓間相互の請求権の破棄」の取り決めにおいて、「両締約国(日韓双方)は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」とする戦後の「日韓基本条約」を締結。

 「謝罪」「賠償」する筋合いは全く無いのである。しかし、日本は、同条約の締結に際し、日本国の好意から、この日本統治時代に建設し、空襲も受けずに残ったインフラを代償を求めずに提供している。時価に換算(試算)して約70兆円に上るとも指摘されている。同国国民があえて過去の謝罪と賠償を求めるとすれば、その対象は自国政府ではないか。
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その後も恩恵を受け続けながら

 その後も、日本からの資金援助を受け続け、(1998年度までの実績だが)累積の有償資金協力 6,455.27億円、無償資金協力 47.24億円、技術協力実績 239.94億円を受けた国はどこであったか?

 さらに98年の国家破綻時には、日本は同国に対して100億ドル(約1兆3000億円・当時)の枠を設けて支援した。こうした事実も国民に公知していないのは、どこの国か?

 日本が1905年に領土して国際的認定を受けている「竹島」を、武装警官らによって不法占拠し、それでいながら「国際司法裁判所に委(ゆだ)ねよ」と問うわが国の勧奨から逃げているのはどこの国か? これらのすべての答えは「韓国(南朝鮮)」である。 以上、平成19年12月4日のノートをもとに、後の関連稿に添付する「事例付記」として記す。同旨の内容は「南朝鮮の虚構」(英文版)の中にも詳述する。
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国体の護持と弥栄を!     

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薫りたる はるのしらせを もらえよと ころも干したり 朝の渋沢 
敷島の路傍にて
(壁紙)(平成27年)義広撮影 敷島について
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文末挨拶 付記
武士は花を愛でる 付記

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敷島の和色465色と四季の繊細 付記
俳句、和歌は敷島の文化 付記

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