中国選手「日本国歌は耳障りだ!」考
2014/09/25(木) 22:52:00 [特亜/四亜]
無礼な発言!
日本国歌は「耳障りだ!」 中国の競泳選手に批判
香港メディアは25日、仁川アジア大会で中国の競泳代表の孫楊選手が「日本の国歌は耳障りだ」と発言したと報じた。中国のインターネット上では「品のない発言」などと批判が広がっている。
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香港紙、香港経済日報(電子版)などによると、24日の男子400メートルリレーで2位の日本チームを押さえて優勝した中国チームの孫選手は、メディアの取材に「中国人に留飲が下がる思いをさせた。正直言って日本の国歌は耳障りだ」と話した。以上、冒頭より。産経新聞(Web) 平成26年9月25日付記事より「個」の日記の資料として参照
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▼ 平成26年9月25日
・韓国「選手村で日本に酷い“仕打ち”」考
・朝日「読者サービスで地域差発覚」考
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フェアプレーが求められるのは選手だけか
あくまでも個人的にだが、いわゆる「中韓」の選手やサポーター(または観衆)をスタンドなどで実際に、または画面越しに観ていてそぞろに体感できることは、フェアプレーが問われるのはなにも試合に臨む選手たちだけではなく、これら周囲の群衆にも粛々と品位が求められているということだ。
だが、残念ながら、実に多くのケースで「中韓」にはその乏しさ、品位の低さが見受けられてならない。子の感慨は筆者のみならず、また多くの良識の皆様のみならず。ひいては、各国の「観る目」からしても同感少なからずではないかと拝考する。
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無礼な発言
サポーター(または観衆)の心貧しさ、品位の低さが増長すれば、むしろ試合に臨む選手にもその面でそれらが伝搬し、または一体化する。そこにはスポーツに即するべきフェアなメンタリティは存在しなくなる。たとえば、ロンドン五輪のサッカー男子「日韓戦」後に、竹島を韓国領と主張するサインを掲げたサッカー選手(南朝鮮)の違法行為もまた、その典型と謂えよう。
表題は、南朝鮮で開催中のアジア大会(仁川大会)での、「24日の男子400メートルリレーで2位の日本チームを押さえて優勝した中国チームの孫選手は、メディアの取材に「中国人に留飲が下がる思いをさせた。正直言って日本の国歌は耳障りだ」と話した」と伝えるニュース(産経紙)である。事実とすれば、選手当事者に最も求められるフェアな精神に欠ける発言と謂わざるを得まい。
さらに筆者の眼には、その発言が孫選手個人のみならず、同選手の周囲にも同様のメンタリティの共有が窺えてならない。たとえば、「日本チームには負けたくなかった」等の発言であれば、まだしも一般的と謂えようが。「日本の国歌は耳障りだ」とは無礼な発言だ。
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立場がもしも正逆だったら
紙面は「中国の短文投稿サイトでは」として、「同じことを言われたらどんな気持ちになるか」などと批判する書き込みが目立った」としているが。その通り、もしも場合が「正逆」であったら、支那は騒然とするのではないか。場合によっては、「いつも」のように、支那国内で駐中国日本大使館への抗議デモや投石、国旗を燃やすなどの“行動”も飛び出すのかもしれない。
フェアプレーの精神とは、この「正逆」の視点を常に有することを要件としている。日本人(通名・帰化系を除く)の元来の特性でもあり、ごく日常の中ではこれを「思慮」と呼ぶ。その「思慮」からたとえ勝っても負けても、試合での対戦相手の健闘をも讃える心が生まれ、その光景を観る者からしても爽やかな感銘を共有できるわけだ。
己の権利と我欲の主張にのみ奔る。騒然を是とする。他をなかなか思慮し得ない。それら癒えぬ「中韓」のメンタリティに我々日本人までが次第に同化して来てしまってはいまいか。個々相応にそう振り返りつつ、もしも実感する点が有れば、「中韓」の有様を観て我が襟を正して背筋を伸ばすべきと。「中韓」と同じ様になっては困ると。ふとそう実感する次第である。敷島は武士道の国である。
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国体の護持と弥栄を!
敷島の路傍にて(壁紙)(平成26年)義広撮影 【敷島について】
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