事例付記 韓国軍の悪逆非道
2014/05/07(水) 13:35:00 [事例付記]
事例付記
韓国軍の悪逆非道 資料1
現地発 緊急レポート 朴槿恵政権が封印する「ライダイハンの蛮行」全記録を公開 韓国軍はベトナムで何をしたのか 遂に慰安婦が告発「韓国政府はベトナムでの性被害を調査せよ」 「誤りを認めない指導者に、新しい未来を開いていくことなどできない」──3月1日、独立運動記念式典で韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は日本をそう批判した。その言葉、そのまま朴氏にお返ししよう。韓国軍こそ、ベトナムで何をしたのか。現地取材で判明した韓国軍による蛮行を明かす。以上、冒頭より/ 週刊ポスト 平成26年3月28日号 購入誌面(P34-38の内、P34-35)より「個」の日記の「事例付記」参考資料として参照
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週刊ポスト誌の「現地取材」による記事
韓国(南朝鮮)軍によるベトナムでの蛮行をすでにご存知の方は少なくないことかと思う。表題誌面の「現地取材」よってその事例が新たなに明らかになった、とする点に着目し、当ブログの「事例付記」参考資料の一つとして小稿をここに起こす。
以降に同特集の第二回、第三回分を添付紹介するが。小稿も史実「ライダイハン」関連の事例を問う際の、小稿への随時添付の資料の一つさせていただきたい。
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1004人の民間人を虐殺
ゴダイの大虐殺
誌面が綴る多岐の事例さえ「事実」のごく一端に過ぎないであろうことは察するに容易である。しかし、以下に記される数例だけでも南朝鮮軍がベトナムでなした有り余る悪逆非道の実態が判る。
(以下、誌面より)
ベトナム南部最大の商業都市ホーチミンから、飛行機で約1時間北上するとクイニョンに到着する。南シナ海に面したこの港町は今、静かなリゾート地として旅慣れた観光客の間で人気のスポットになりつつある。
そのクイニョンの中心地から、かつてゴダイ集落と呼ばれた農村部へと向かうと、リゾートの雰囲気は一変。そして気付かされる。ここがベトナム戦争時、韓国軍による「ゴダイの大虐殺」があった血なまぐさい戦場であったことを──。
ベトナム問題に詳しいフォトジャーナリストの村山康文氏は、先月末までベトナム戦争時の激戦地を訪れた。このゴダイ集落を訪れた時、韓国軍による大虐殺の凄まじさを知ったという。
その集落の村のひとつ、タイヴィン村があった場所には、現在、カラフルな壁画が建てられている。その鮮やかな色使いとは裏腹に、描かれている内容は悲惨そのもの。軍服を着た兵士たちの銃口が火を吹き、銃弾が村人たちの体を貫く。火あぶりにされる裸体の女性の姿も描かれており、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
“つり目”で表現された武装した軍人たち。彼らこそ、大虐殺の当事者である韓国軍である。右腕には、ゴダイ集落を襲撃した「猛虎部隊」の紋章である虎が描かれている。
集落全体では、1966年1月23日から2月26日にかけて、1004人の民間人が虐殺されたという。
(以上、誌面より)
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村人の前で輪姦して殺害
南朝鮮の国技と指摘すべきレイプ、暴虐の数々が、誌面の新たな取材をもとに具体的に記されている。同時に、たとえば、“性的奴隷”と称する対日毀損の虚構も実は、己のDNAをそのまま身勝手に日本へ投射、転嫁したものであることも重々窺い知ることが出来る。
(以下、誌面より)
15発もの銃弾を受けながら奇跡的に生き残ったタイヴィン村のグエン・タン・ランさん(62)が、当時を振り返る。
「韓国軍が村に来たのは朝9時ごろ。100人以上の歩兵が次々と村に入り、全25世帯、65人の村人を一か所に集合させました。韓国兵はその中から、年頃の娘を見つけると、彼女を集団から引き離し、村人の前で輪姦を始めたのです。
兵士たちに銃を突きつけられた娘はなす術なく、代わる代わる暴行されました。そして、最後の兵隊が事を済ませると、彼女を撃ち殺したのです。その一部始終を見せつけられた村人が怒り狂い、韓国兵に襲いかかろうとしましたが、その場で射殺されました。韓国兵は私たちを1度に殺さず、数人単位で射殺していきました。私の両親や親族も殺されました」
この壁画は、タイヴィン村での虐殺を忘れないための記念碑のようなものだという。その傍らにはゴダイ集落で虐殺された380余人の名前が刻まれた慰霊塔も建っている。そこには「韓国軍が行なった非道は忘れない」という内容の文字も書かれていた。
(以上、誌面より)
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村民に銃弾を浴びせ、村を焼き払う
非武装民に対する暴虐もまた、かのDNAの発露であり、今日のDV(ドメスティック。バイオレンス)事件の八割以上が在日・帰化系である、と事態指摘する敷島調査隊の報告を傍証するに有り余る危険要素が、ベトナムでの暴虐にも現れている。
(以下、誌面より)
クイニョンからさらに北に約300キロメートル進んだベトナム中部のクアンナム省のフォンニャット村は、非常に小さな農村だ。ここでも韓国軍によって虐殺が行われた。当時14歳だったトワン・ヴァン・ディエップさん(60)が涙ながらに語った。
「早朝、100人以上の韓国兵が突然押し入って来た時、私は慌てて家の中に逃げ込みました。家には両親と6歳の弟がいましたが、動揺した弟は私たちの制止を聞かず家の外に飛び出てしまい、韓国兵に撃ち殺されました。まだ幼い弟を殺された両親と私は恐怖と悔しさに震え、ただ家の中で息を潜めるしかなかった。
隙間から外の様子を窺うと、40人ほどの村人が一か所に集められ、銃弾を浴びせられているのが見えました。やがて私たち一家も見つかり、外に連れ出され、両親を目の前で射殺されました。
逃げようとする私にも銃を乱射してきました。右足に銃弾を受けて倒れ込んだ私は、死んだふりをして韓国軍の襲撃をやり過ごすことができたのです。韓国軍は民家に火を放ち、村全体を焼き払いました」
フォンニャット村周辺では74人が犠牲になった。わずかな生存者となったディエップさんは過去を忘れようと努力したが、「40年以上経った今でも心の傷は癒えない」と声を震わせた。
(以上、誌面より)
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ハミ村でも135人の民間人を無差別虐殺
週刊ポスト 平成26年3月28日号 購入誌面(P34-38の内、P36-38)より「個」の日記の「事例付記」参考資料として参照
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痛ましい韓国軍の爪痕
痛ましい限りである。犠牲者方々にご冥福をお祈りし、周知を以って哀悼の一分とさせていただきたい。
(以下、誌面より)
さらに北上すると、ベトナム戦争最大の激戦地のひとつ、ダナンに着く。そこから20キロメートルほど南へ下るとハミ村がある。1968年2月25日、135人もの民間人が無差別に殺された「ハミの虐殺」の地である。
犠牲者の慰霊廟が建てられていた。荒れ果てた野原に建つ慰霊廟の横には、犠牲になった135人全員の名前が彫られた石碑があった。女性が97人も含まれ、生年月日から紐解くと0~9歳までの子供が57人も確認できた。
殺戮と破壊──これがベトナム戦争で韓国軍が行なったものだと、現地の人々は口をそろえた。
(以上、誌面より)
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レイプ、虐殺に明け暮れた韓国軍
南朝鮮国内でも“問題”化し始めているとのことだが、近年まで、当事者以外の南朝鮮人はベトナムでの事実を知らなかった。否、政府が自国民に知らせなかったこと自体も、国際世論から問われるべき一つと謂えよう。
(以下、誌面より)
今、韓国ではベトナム戦争に参戦した韓国軍の蛮行が、ここに来て問題視され始めている。3月7日、かつて日本軍の慰安婦だったという女性とその支援団体代表がソウルで会見を開き、ベトナム戦争に参戦した韓国軍による「ベトナム人女性に対する性暴力や民間人虐殺」について、「韓国政府が真相を究明し、公式謝罪と法的責任をとるように」と訴えたのである。
これまで日本に「謝罪」と「賠償」を求めて来た彼女たちの矛先が自国へと向けられたのだ。
韓国がベトナム戦争に参戦したのは1964年のこと。73年まで、のべ32万人もの兵士を南ベトナムに派遣している。当時、アメリカの同盟国として、オーストラリアやフィリピンなどSEATO(東南アジア条約機構)加盟国も参戦したが、万を超える兵を派遣したのは、アメリカを除けば韓国だけだった。
韓国事情に詳しいジャーナリストがいう。「朴槿恵大統領の父親である朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が、ベトナム戦争への自国軍の派兵をアメリカのケネディ大統領に提案した。アメリカに擦り寄ることで韓国の軍事独裁政権を認めさせるため、そして戦争特需による外貨獲得が狙いだった」
韓国軍は、後に激戦地となったダナンに海兵隊第二旅団「青龍部隊」を、クイニョンに首都ソウル防衛師団「猛虎部隊」を、そしてニンホアに第9師団「白馬部隊」を駐屯させた。彼らが、各地でベトナム人に対し虐殺やレイプを繰り返したのである。ベトナム戦争当時にサイゴン支局長を務めていた元朝日新聞記者の井川一久氏がいう。
「当初の韓国軍の主な任務は『ベトコン掃討作戦』でしたが、1968年以降は『農村の無人化作戦』に変わりました。わかりやすくいえば、反米の南ベトナム解放戦線が大半を支配していた農村部を壊滅状態にすることです。
戦場でベトナム人を見つけたら、女、子供問わず抹殺するのが仕事。彼らはベトナム人を人間だと思っていなかった。女性を見つけたらレイプした。単独ではなく輪姦です。そして用が済めば殺す。もはやマニュアル化していたように、彼らは凶行を繰り返していた」
(以上、誌面より)
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韓国軍の極まる悪逆非道
ベトナムでの惨劇と。認識をそこで止めずに、実際の「我が身」に当てて考えてみよう。否、GHQの資料によれば、実際にこの日本でも戦後の混乱期にベトナムでの暴虐と似通った事件が各地で起きており、居残った朝鮮人が結成した“朝鮮義勇軍”らの暴虐によって4000人以上の日本人が殺害されている。
後稿での事例資料の中で、ひいては「南朝鮮の虚構」(英文版)の中でも調査結果を交えて詳しく記すが、その実態もまた以下に記される「犯罪者集団」そのものでありながら、無論、それらに対する日本への謝罪、賠償もなされていないのである。
(以下、誌面より)
こうした韓国軍の行為が明らかになるにつれ、反韓感情がベトナム人の間で湧いていったという。井川氏が続ける。
「ベトナム人たちにとって韓国軍は“アメリカの金を目当てにやってきた傭兵”という認識でした。彼らには何の大義もない。それどころか犯罪者集団だという人もいた。支局時代、ベトナム人の助手に、韓国軍の取材に行くといったら、“私は行けません。彼らの前に立つだけでも吐き気がする”と拒否されました」
実は、ベトナムでの韓国軍による蛮行を、当事者である韓国人が知ったのは1999年で、戦争終結からかなりの年月を要していた。発端は週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)が始めた1年以上にわたる連載記事だった。記者がベトナム当局から資料を入手し、現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒した。とくに殺害方法に触れた箇所は凄惨を極める。
〈生存者の証言を元に韓国軍の民間人虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通したパターンが見られた。
●子供たちの頭を切り落とし、手足を切断して火に投げ込む
●住民をトンネルに追い詰め毒ガスで窒息死させる
●女性たちを次々に強姦したあと殺害
●妊婦の腹から胎児が飛び出すまで軍靴で踏みつける〉
まさに韓国史のタブーに初めて切り込んだ記事だった。しかし、長く封印されてきた蛮行を暴いたことに、政権は怒り、元軍人たちも大反発した。同誌を発行する本社の幹部が、退役ベトナム参戦軍人らに監禁、暴行される事件まで起こった。
それから10年以上を経て、ようやく同誌に追随する動きが出始めた。先の市民団体の声明の前日、韓国の市民参加型ニュースサイト『オーマイニュース』に、韓国軍人に集団輪姦されたベトナム人女性の証言が掲載されたのである。
韓国軍の基地で働いていた当時20歳の女性が、兵士たちに輪姦された挙げ句に妊娠。「ライダイハン」を出産し、現在に至るまでの苦労の人生を回顧している。
ライダイハン──。ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称である。
(以上、誌面より)
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韓国人にとって
ベトナム人女性は“性の商売道具”でもあった
以下の実態についても、各国に問うべき一つである。汝の父親こそが現実行じた軍管理売春をここで問われ始めたのも、朴槿恵氏にとっては何かの因縁かもしれない。ブーメランは必ず嘘つきに返って来るのである。
(以下、誌面より)
ベトナムにはこのライダイハンは数千人から3万人いるといわれている。戦争終結後にベトナムに流入した韓国人ビジネスマンと現地女性との間に生まれた子もいるが、韓国兵による性被害により生まれたライダイハンも少なからず含まれているのは事実だ。
前出の村山氏も、「クイニョンの韓国軍基地の食堂で働いていたという女性から、4、5人の韓国兵にレイプされライダイハンを身ごもったと聞いた」と語る。
ただ、こうしたレイプがすべてではない。かの戦争時、少なからぬ韓国人にとってベトナム人女性は、“性の商売道具”でもあった。
ベトコン掃討作戦により、農村部から命からがら逃げ出した人々のうち、多くの若い女性は売春で家族を養うほかなかった。そのブローカーや雇い主の多くが民間の韓国人だったという。
ベトナム戦争では、戦争の特需にあやかろうと建設業者や運送業者、飲食施設経営者など、総計1万5000人もの民間人が韓国からベトナムに渡っていた。中でも外国人相手の売春斡旋業に手を染める韓国人は少なくなかった。ベトナム戦争当時にサイゴン支局長を務めていた元朝日新聞記者の井川一久氏はこう語る。
「米軍や韓国軍の駐屯地に近い都市には、韓国人経営のナイトクラブ、バー、キャバレー、ホテルなどが密集していて、その多くは売買春施設でもあった。風俗産業の相当の部分が韓国人に握られていたといっても過言ではない。その種の事業に関係する日本人は私の知る限りは2人だけでしたが、韓国人は数百人単位でいた」
一方、韓国軍が駐屯していた中部の激戦区では、基地内に「慰安所」というべき施設が存在したという。井川氏が明かす。
「サイゴン東北の米軍ライケ基地には、有刺鉄線を張りめぐらした性的慰安施設があったが、それと同種の施設が韓国軍の主要野戦基地にもあった。外部の人間からは隔離されていたので確認できなかったが、韓国軍がベトナム人女性を慰安婦として扱っていたことは間違いない。
当時、親日的な在ベトナム韓国軍高官に夕食会に招かれ、彼の公邸に行ったことがある。応接間には、超ミニのワンピースのお仕着せをまとった少女が数人いた。揃いも揃って美人。年齢は15~17歳ぐらいにしか見えず、少女のあどけなさを感じた。そのうち2人の少女が私をはさみ、食事を口に運んでくれるのです」
彼女たちはただの接待要員ではない。次に高官が口走った一言で、井川氏は確信したという。
「少女たちをどこから集めたか問うと高官は答えをはぐらかし、『気に入った子がいたら連れ帰ってもいい』というのです。彼女たちは明らかに戦争難民でした。私はもちろん断わったが、高官の態度から察するに彼女たちは友好国の上級軍人や高官をもてなす存在だったのでしょう。ベトナムで韓国人は軍民一体となり、管理売春に手を染めていたのです」
(以上、誌面より)
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韓国政府は認めていない
信条こそ異なれども、ベトナムの民意の高さは南朝鮮、ひいてはその宗主国・支那の比にはなるまい。ベトナムの安寧と発展をお祈りする。
(以下、誌面より)
朴槿惠大統領は昨年、抗日運動の記念日(三月一日)に、「加害者と被害者の立場は千年経っても変わらない」と演説し、日韓に横たわる歴史認識の相違に徹底的に固執する態度を表明した。
ならば、韓国軍によるベトナムの歴史についてはどう考えるのか。韓国政府はいまだに民間人の虐殺やレイプについて、その存在を公式に認めてはいない。
両国の国交正常化から六年後の九八年、金大中大統領(当時)がベトナムを訪れ、「ベトナム国民に苦痛を与えたことを申し訳なく思う」と謝罪した。虐殺やレイプに触れたわけではない。それでも強い反発を見せたのが、当時野党のハンナラ党副総裁の職にあった朴朴正煕大統領だ。「(韓国軍)勇士の名誉を傷付ける言動だ」と猛烈に批判したのである。朴槿惠大統領は、昨年九月にベトナムを訪問しているが、謝罪はおろか、ベトナム戦争時の歴史には一切触れなかった。
ベトナム政府は、今までに韓国に対し謝罪や反省、補償も何一つ求めていない。ベトナムはサムスンなど韓国の優良企業の工場を誘致しており、両国は経済的に協力体制を築いている。「恨み」ではなく、「共存」をベトナムは選んだのだ。
いまだに日本に対して、謝罪や補償を強硬に求め続けている韓国とは、正反対の態度である。
ここで「慰安婦」と、「虐殺、レイプ」はまったく次元が違う問題であることは指摘しておかなければならないだろう。慰安婦制度が、現在の価値観に照らして人権侵害として批判されるのは当然だが、一方で、朴正煕大統領主導の下、戦時中には韓国国内にも合法的に米軍向けの慰安所が整備され、米軍も各地に慰安所を設けていたのも事実だ。
だが、虐殺やレイプは戦時中であれ、議論の余地なく決して許されることではない。重大な戦争犯罪行為であるといえるのだ。
朴槿惠大統領に日本の歴史認識を問う資格があるのか。まずは自分の父親が率いた韓国軍が、ベトナムの女性に何をしたのかを見つめ直すべきではないか。
(以上、誌面より)
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以上、少々長くなったが、今後の、ブログ小稿への折々の添付のための事例付記の稿として恐縮ながら、事例を積み重ねて稿をなし、また稿を積み重ねて事象の証明に資する研究者の論旨展開の一環としてのこととご理解をお願いし、事例付記の小稿の一つとする。
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■ 付記「言わずが美徳」は通用しない対外事情
■ 付記 国際表記にもとづく「支那」「朝鮮」表記
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国体の護持と弥栄を!
敷島の桜花 (平成26年5月5日)義広撮影
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