2014/04/17(木) 21:10:00 [明るいニュース]

「日本兵の優しさを受け止め、記憶をつなぎたい」と

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インパール 優しい日本兵 インド人の古老語る
 70年前に3万人以上が犠牲になったとされる旧日本軍のインパール作戦について、「日本兵はインドのために戦ってくれた」と記憶にとどめるインド人古老に話を聞くことができた。(インド北東部ロットパチン 田原徳容、写真も) 以上、冒頭より/ 讀賣新聞 平成26年4月17日朝刊 購入紙面(7面)より「個」の日記の資料として参照

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▼ 平成26年4月17日、他の稿

第三稿 韓国産魚介類「特定有害物質」も豊富
第二稿 河野洋平氏「中国の内政干渉放置」考 
第一稿 おはようございます 

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▼ 新設 事例付記(17日)

・事例付記 膨大な人命を奪って来た中国共産党 
・事例付記 朝鮮語を必須とした「併合時代」

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戦闘の最中に「日本兵が逃げ道教えてくれた」

 インドでは、かつての英国による植民地支配から脱し、独立国と律することができたのは日本のおかげであると。そう史実認識している人は多い。

 表題は、かつてのインパール作戦の最中に日本兵と出会い、逃げ道を教えてくれたとする逸話の紹介に始まっている。当時を語るタオレム・ゴラムホム・シンさん(83)の話として、「家の前で立ちすくんでいると、駆け寄った日本兵が手振りで逃げ道を教えてくれた」と。「自分が死ぬかもしれないのに、(日本兵は)なぜやさしいのか」と。「逃げながら、そう思ったという」と紹介。
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戦時中でも常識を忘れなかった日本人ならではのこと

 この古老の住む村が在る「ロトパチンの南にある町モイラン。主婦のアコイマチャ・クマムさん(85)は、日本兵に英軍の空爆情報を教えてもらい、難を逃れたという。日本兵は空爆の犠牲になったと聞いた」」と。別の逸話を紹介している。

 「私の自宅は日本兵に使われていたが、衣類や食器は(荒らされず)側溝に保管されていた。日本が復興できたのは、戦時中でも常識を忘れなかった日本人ならではだと思う」と。婦人の言を紹介している。
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「旧日本軍の動きがなければ」

 また、「日本兵の遺留品収集を行っているアランバン・アンガバ。シンさん(40)は、「旧日本軍の動きがなければ、英からのインド独立の機運は高まらなかっただろう。日本兵の優しさを受け止め、記憶をつなぎたい」と話した」と紹介している。

 折々、藤井厳喜氏(国際政治学者)ら識者が海外での調査、取材を通じて数多の逸話を紹介して来られたが、こうした逸話は実は海外に無数に存在している。

 桜花が散り、弥栄の桜が路傍に咲き満る今、先人英霊にあらためての感謝を捧げ、敬礼を捧げる思いである。
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■ 主な関連稿

両陛下、印度にご到着 2013/11/30 
日本に「アリガトウ」と言ってくれる国々 2013/10/14 
麻生氏「GWに訪印へ」考 2013/03/04 

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日本の自衛隊のみが「レイプをしなかった 2012/02/21
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国体の護持と弥栄を!

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敷島の弥栄桜(17日)(大判壁紙) 義広 撮影
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