「将棋の起源」考
2013/07/15(月) 19:31:00 [特亜/四亜]

“韓国”では有り得ない、「将棋」の起源
将棋 古代インドのゲームが起源
将棋は、軍の図上演習を模して駒を動かす古代インドのゲーム「チャトランガ」が起源で、中国や日本では将棋、欧州ではチェスに転じたと考えられています。以上、冒頭より/讀賣新聞 平成25年7月9日夕刊 記事(切り抜き)購入紙面(2面)より日記の資料として参照
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「ウリジナル」主張を連発する生物圏
何でもかんでも己のが“起源”とする。“イエス・キリストまで朝鮮人”だったとする。国々からたとえ嘲笑を買っても、なぜ笑われているのか。その意味にも気づかずに、所謂「ウリジナル」主張を連発して止まない。
その、いわば精神病理の吹き溜まりのような生物圏(とても“国”とは謂えないためそう呼ぶ)が、「将棋」までもをその中に入れているとのこと。だが、淡々とその起源と系譜に触れているのが表題紙面である。今後の参考のためクリップさせていただくが、その実際の系譜の上で“韓国(南朝鮮)”の登場は無い。
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元々の起源は古代インド
表題紙面は、「将棋は、軍の図上演習を模して駒を動かす古代インドのゲーム「チャトランガ(Chaturanga)」が起源で」として、「中国や日本では将棋、欧州ではチェスに転じたと考えられています」としているが。そもそもの起源に遡及すれば系譜として納得し得る要素が窺える。
平面の盤を挟んで「差し」で対戦する。その「二人制」が先に考案されたとする点や、軍の「王」(ラージャ(RaJa))を中心とした各種の駒(戦力)の配置。駒それぞれに異なる機能を与えている点など。「なるほど」と考えさせられる「将棋」と類似している要件は多い。駒の種類の中に「象」が有る点などには「インドらしさ」も窺える。
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江戸時代に集成
平安時代にはすでに「将棋」原型が日本で形成されはじめ、特に、「中国(支那)」のものとは異なり、我が国で一般的、且つ独自の「本将棋(日本将棋とも謂い81マスの将棋盤と40枚の将棋駒を使用)」の集成が、他に類を見ない「持ち駒」の観念を特徴として江戸時代に入る頃にはすでに完成していた。表題も「江戸時代、徳川家康が京都の町人だった名人に俸禄(ほうろく)を与え、江戸に世襲の家元が誕生」と。「参勤交代で江戸に来た武士らに伝授し、段位を与えました」としている。
個人的にだが、暑い季節になれば夏休みの夕刻など、縁側で将棋台を挟んで兄らと対戦した思い出がある。蚊取り線香の臭いと、その様子を審判員のように傍らでじっと眺めていた猫を思い出す。
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【筆者記】
何故、あの吹き溜まりがあれもこれも“起源”であるかに主張するのか。また、それ以前に、何でもかんでも無節操に「パクる」のか。その精神病理の一端の解明でも、と地道にメモを残しながら取り組ん来た。特徴的な一つとして、彼らの宗主国にも一部謂えることだが、文明人にごく一般的な「認識能力」に著しく欠けている様子が分かって来た。
いわゆる新しい「知識」や「文化」に対して、それが「我々に無いものだと」と客観的に認識できずに、且つ教えてくれた者に対する敬意や感謝を表することもなく、言葉は悪いのかもしれないが、“もともと自分たちの“国”には祖先の代から在ったものだ”(要旨)とする妄想でしか“認識し得ない”。そうしたごく一部の未開種族とも共通した特徴的な「認識機能の欠如」が有ることを、数学を駆使して解明しつつある。
それも「道徳教育の欠如」云々の後天的な要素で問える次元では無く、もっと根本的な要素(たとえば「DNA」)に由来しているのではないか。これが筆者の視点である。なぜ、服を着せても進歩がないのか。なぜ、学ばないのか。なぜ、嘘を吐き続け、同じような毒性を地上に撒き続けるのか。本質的な究明を今後も続ける必要性を感じてならない。やはり「まとも」に付き合うべき相手では無い。
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日本は毅然とあれ!
路傍にて(筆者)
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