2013/05/16(木) 19:10:00 [カルト対策]

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「還著於本人の厳罰」について

 【読者】 おはようございます。毎日のブログ更新、おつかれさまです。さて5月15日の「パスポートの妄想」の記事を拝読して、「還著於本人の厳罰」との表現に驚きました。

 「妙法蓮華経観世音菩薩普門品世尊偈」という経文に「咒詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人」という一節があります。呪いや毒薬などで他人に害を与えようとすれば、害はその本人にふりかかるという意味ですが、まさにどこぞのカルトのことですね。

 わたくしは凡夫に過ぎませんが、仏陀は真理を説く存在であり、何かの審判や懲罰を下す存在ではないと考えます。「仏罰」などという概念を用いることこそ、カルトの証でしょう。

 季節の変わり目です。お体を大切にお過ごしください。博士のますますのご健勝をお祈りいたします。

(以上、読者からいただいたご投稿(16日)より)
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▼ 対象記事

創価「パスポートの妄想」か 2013/05/15
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論語読みの「論語知らず」式の

 貴重なご投稿、ご教示に感謝します。創価とみられる方からのメッセージに「還著於本人」と有ったので、果たして、どういう意味かと思っておりましたが。仏教の経文に記される教えであり、その本来の意味は“あなたに仏罰がくだるぞ”という脅しではなく、私なりに拙く解釈させていただければ、言動の自己責任を教え説くものに他ならない。そう解釈できました。

 私のような俗人が理解出来る言葉で謂えばですが。たとえば、「天に唾する」という意味ですね。自らの「墓穴を掘る」ということにもなるのではないかと考えます。私の解釈が間違っていなければの話に過ぎませんが、つまり、仏教を説かれたお釈迦様が「そういう生き方をしてはなりませんぞ」と教えられているのであって、あなたには仏罰がくだるとか。地獄に堕ちるとかの教えはそもそも仏教の教えには基本的に存在していないということですね。

 言い換えれば、仏教を看板にしながらも、しかし、仏教には無い“教え”をさも先達の教えであるがごとくに、凡人組織維持のための恫喝や、罵倒に用いるとすれば、(=イコール)仏教徒であるとは謂えない。他人を呪うと謂うことからしてもそもそも「宗教」とは謂えない。すなわち「カルト」であると。そういうことになろうかと考察します。
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デタラメなカルト

 宗教を看板にした病理性は、その他にも、たとえば、先年の稿で事例をクリップしましたが、匿(かくま)った不法滞在者らに、これも“神のおぼしめし”だと説いて風俗で働かせて逮捕された通名牧師の事例にも、相通ずるものが有ろうかと考察します。朝鮮系の精神病理そのものです。

 そのような毒性を属性に有する“国”から、たとえ“千年たっても日本を恨み続ける”とか、“歴史認識を”とかの言いがかりをつけられても、「真に受ける」筋合いにはありません。その窓口になっている朝鮮系のカルトが次第に棲息できなくなうような、整然とした日本を、我々の世代で築いてまいりましょう。

(以上、島津 義広より)
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日本は毅然とあれ!      

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路傍の壁紙(筆者)
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