2013/05/15(水) 20:55:00 [落書き帳]

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メディア情報の混沌

 ここ数日、特に、今日(15日)のメディア情報の交錯には、混沌極まる様相が観られます。報道されている何が事実で、何が誇張、加工であるのか。また事実としても何が真相なのか、現在、可能な限りの調査を行っています。

 一両日中には、メルマガを含め、ブログからも報告のための数稿を更新したく考えています。ご参考としていただける機会が有れば有り難く、日々新たなご訪問をいただければ幸いです。
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柿の花

 皆様は柿の花をご存知でしょうか。時節柄、路傍ではこの柿の花が今咲いているので報告します。

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柿の花(義広)
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 初めて見れば、果たして、上記が「柿の花」に見えるのか、どうか。別物に観えてしまうのかもしれません。しかし、それがやがての夏に青く実を形成し始め、秋には誰もが知っているあの実りになります。
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敷島の「短」「中」「長」期のとらえ方

 ここで思い出されるのは、「桃栗三年柿八年」との謂です。いわば、何事も「歳月を要する」との喩えですが。上述の数ヶ月のプロセスがようやく始まる、つまり柿の花が咲いて実りにいたるまでのプロセスがようやく始まるのは、柿の木場合は苗木を植えてからおよそ八年かかる。植えて直ぐにとはいかない。

 また、その年々秋になると色づく柿の木に、各家の、年々の子供の成長を照らすためか古い家には必ず柿木が植えられている、とのいにしへよりの敷島の実話を芭蕉句を通じて以前にお話しさせていただいたことが有りました。こちらはさらに、十年、二十年の話になろうかと考えます。

 以上をもとにふと考えれば、「柿」の木に喩えての短期、中期、長期の物事のとらえ方、観方の同時・構造性が敷島人の視座に本然的に在るべきと。それがまた世界に誇れる基礎研究をお家芸とする敷島人のそもそもの視座であると。私はそう思います。
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誇れる敷島人本来の知力

 たとえば、伝統の日めくりカレンダーの中にも、「年」「月」「日」という三つの時間区分が同時に存在しています。一日が単なる「一日」ではなく、何年何月の一日であり、その日であるとの位置づけが日めくりの一枚、一枚の中になされているわけですね。

 柿の木にしても、同じように上記の「短」「中」「長」期の三つの区分を時間軸の上に配して観ることができる。言い換えれば、明晰なる敷島人はそもそもがそうした物事の観方を同時にできる知力を兼ね備えていると謂えますし、たとえば、理化学系のノーベル賞受賞者がゼロの、亜民らの短絡的な事象のとらえ方、観方とは本質的に違っているのです。

 時々お話している「川のうたかたに目を奪われずに、川の流れから構造的に観るべき」とのお話も、以上を念頭に置いたものです。そもそもが蕪村、芭蕉の短い句の中に、その視点がすべて凝縮されている。そのことを一時期師事していたトランジスターを発明された先生にお話したところ、日本人はどこまで聡明なのかと。感銘されていたこともここで思い出します。

 たまに学生諸氏にお話していることもありますが、当稿で先ずそのお話を申し上げておければとふと思い、落書きさせていただきました。

 半年も経てばもう新嘗祭を前にした時期になります。心萌える季節になりました。どうか親愛なる皆様には益々の健やかにあられますことを。

平成25年5月15日
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日本は毅然とあれ!      

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路傍の壁紙(柿の木)
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