英語がそれほど必要か
2013/04/19(金) 13:45:00 [ドットCOM殿式]

英語がそれほど必要か
【読者】 英語を話せたり、書けたり凄いと思いますが、本当に必要なのかと、このTOEFLを真剣に進めているのが楽天の三木谷氏らしいのですが。あと、尊敬している自民党の山谷えりこ議員なのですが、全く駄目な自分が言っても説得力はありませんが、英語など本当に必要に迫られれば自ずと身につけれると思います。
寧ろ今の学生だけではありませんが、正しい日本語をちゃんと教えるほうが先ではないでしょうか?それとも彼らは、この美しい日本語を無くしたいのでしょうか?単なる個人のコンプレックスを日本の子供たちに押し付けてもらいたくありません。世界経済も変わりました、0か100ではないですが、行き過ぎたグローバリゼーション(グローバル経済)はこれから是正されていくでしょう、なら、アメリカに尻尾を振らずに、自国の文化等を軽く見るのを止めていただきたいと思います。長文・駄文失礼しました。
(以上、読者よりいただいたご投稿(19日)より)
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私見ながら
貴重なご投稿に感謝します。ご指摘の通り、日本人は、英語より先ず国語(日本語)、ひいては敷島の誇れる品位を備えた国語を先ず身につける。そこが重要な点ではないでしょうか。
その上で、さらにもう一つ数学を相応に勉強しておけば、論理的な物事の考え方や整理に役立ちます。父は文系の学者でしたが、やはり小さい頃から国語と数学を一生懸命勉強した人でした。帝大を首席で卒業して研究室に残って学位を取った人でしたが、身につけた国語と数学が学生時代や教授職に就いた後も、身のすべてにわたって役立つ基本になったと。そう話していました。
その影響もあって、英語や西語を本気で勉強し始めたのが二十代になってからで、まさに仰せの「必要に迫られた」時からでした。それでごく普通に身につきましたし、妻を亡くしてから臨んだ第二次学生時代でも、結果、英語が上手な人が多い米国でも全く不自由しなかったし、英語しか分からない牧場の馬や猫たちとも仲良くなれましたし、コミュニケーションに不自由することは有りませんでした。
あくまで個人的な「体感」に過ぎませんが、そぞろに振り返ってみると、単語の暗記や文型の丸覚えではなく、無意識のうちに、体系的に意味の強弱や表現の浅深を日本語に照らし、論理的に整理しながら身につけていたことに気づきました。決して賢い子供ではなくやんちゃな三男でしたが、それでも子供の頃から本をよく読み、数学を得意として来たバックグランドがそのように役立ったと。そう実感しています。
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俳句、和歌に込められたる森羅万象の随
たとえば、敷島の伝統の俳句、歌は文字こそ少ないけれども、その「少ない」中にそれこそ森羅万象の随をも込め得る論理性、客観性を有しています。物理学賞授賞の青い目の先生に対して、時間こそ要しましたが撫村、芭蕉の句の事例や、藤原定家の事跡などを通じて丹念に説明して差し上げ、一端を理解いただいた時は、日本人は実に明晰で懐深い心を有しているものだと感銘しておられた。その光景を今も思い出します。
“グローバリぜ―ション”という言葉は個人的には余り好きでは有りません。生来空耳なものですから「愚弄罵詈贅小夢」と聞こえて来ることもある。たとえば、日本人としてごく当然の国語の充実、陛下を尊崇奉る念慮、感謝と思慮を育み、良観深蔵を是とする日本人の心、内面のステータスの確立無くしてそれを云えば、己を見失うに等しい。そう体感します。先祖代々の敷島人は心底自信と誇りを以って基本から万事に処すべきですし、青少年講座ではそうお話ししています。
(以上、島津義広より)
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日本は毅然とあれ!
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