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2012/06/29(金) 09:30:30 [カルト対策]

「となりのカルト」に気付かなかった・・と

20120629006
巡回で高橋容疑者に面会も気づかず 神奈川県警、潜伏アパート
  オウム真理教元信者の高橋克也容疑者(54)と菊地直子容疑者(40)が逮捕される前に潜伏していた川崎市のアパートを、神奈川県警の警察官が巡回連絡に訪れ、2人と面会していたことが28日、分かった。警察官は特別手配の2人と気付かなかったという。神奈川県警が当時のいきさつを詳しく調べている。産経新聞Web)6月28日付記事より参照のため抜粋引用/同記事を資料として参照のため引用
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目に見えず、問うても答えない
何処へでも潜入する細菌、ウィルスと同じ

 以前、国思う調査活動の中で、聞き取りのためにお目にかかった中に、「幸い、私の周囲には創価学会や統一教会、幸福の科学の信者はいません」(要旨)と仰った方が幾人となくおられた。その度に、「そうですか。で、どのように確認されましたか?」と伺えば、答えられない方が多かった。そう仰った背景には、カルト信者はご自身の周りには居ないと。そう願いたい、信じたいと思う願望がそう仰った心理的背景を先行支配していたとも謂える。安心したい。それは誰人にも内在している心理に違いない。だが、率直に指摘して申しわけないが、それだけではカルト対策にすらならないことにお気づきいただきたいのである。

 例外は有ろうけれども、多くの場合、あなたは、○○教団の方ですか? と尋ねても、「はい、そうです」との答えが返って来るようなケースは稀である。たいていは否定する。これが先ず指摘すべき一つ目である。二つ目は、カルト性が色濃い教団信者ほど、自らの“信仰”も、教団も教祖もカルトの一類であるとの自覚が無いことだ。すなわち、自らをカルト信者であるとはまさか思っていない。C.C.ユングも同様の指摘を随所でなしていることだが、集団洗脳の怖さ、その心理の深層から湧出るかの毒性の極みの一つがここに指摘できる。予備知識に乏しいほど、その人物が、一見、カルト信者であるか、どうかは見分けがつき難い。「あなたは」と問うてもまともに答えない。言い換えれば、何処へでも潜入する細菌、ウィルスと同じとみなして良い。
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カルトの“乗り換えキャンペーン”にご用心を

 三つ目は、たとえば、創価学会を批判している向きの中にも、別教団のカルト信者らが存在している場合が往々にして有ることだ。つまり、自教団への“乗り換えキャンペーン”のために創価学会なり、統一教会なりを“批判”しているに過ぎないのである。いわば、批判は“方便”であり、たとえば、日本共産党の創価学会批判キャンペーンと原型を同じくするものと指摘できる。創価学会を批判しているからと謂って、では、日本共産党が正しい集団なのか、どうか。その実態矛盾に冷静な視点を当てれば、“乗り換えキャンペーン”の本質が判りやすくなろう。間違って、これらに乗せられれば、集団病理の無限ループに入り込む危険性が潜んでいる。

 その日本共産党と同様の“乗り換えキャンペーン”パターン、傾向が、他のカルト教団にも重々窺える。所詮は、入口こそ「別の穴」の、しかしその本質は「同じムジナ」であり、同じ温床に棲む「国害」に他ならないのである。少なからず、“乗り換えキャンペーン”には、一般的に盲点となりがちなレトリックで有るため、お手数ながら、良識のみなさまには、この本質にお気づきになり、あるいは、何かの際には、あらためて確認しておかれる必要があろう。

 四つ目に指摘すべきは、潜伏の必要性がより色濃い隠れ信者ほど、さまざまなアリバイ行為で身を偽装し、たとえば、拷問にかけられても「はい、信者です」とは答え得ないほどの「耐性」を有していることだ。市販の殺虫剤に対して耐性を持つようになったゴキブリのようなもので、上記の中で最も厄介な存在の一つである。この種の隠れ信者の情報や問い合わせをこれまで随分沢山いただいて来たが、いずれは、良識がこれ以上騙されないために公開すべき調査結果もその中に有る。
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教祖はじめ七人の死刑囚

 指摘すべき項目はあと四つ有るが、長くなるため後稿の機会に委ねたい。表題は、この六月に相次いで逮捕されたオウム真理教の菊地直子容疑者、高橋克也容疑が住んでいたアパートを、以前、「神奈川県警の警察官が巡回連絡に訪れ、2人と面会していたことが28日、分かった。警察官は特別手配の2人と気付かなかったという」とする記事(産経紙)である。警察官に同情するわけではないが、杜撰さが有って、それを差し引いたとしても、長い逃亡生活の中で容疑者の見かけが相当変わっていれば、こうした事例もさもありなんと筆者には理解し得る。

 なにしろ、昨年末に警視庁へ出頭した平田信容疑者のケースでさえ、当初、接した警察官が信じなかったというエピソードも有り、指名手配者の長期逃亡の追跡、捜査における教訓の一つを見い出せるケースではないかと拝考する。以下の写真(誌面)は、上記の二容疑者を除く、主なオウム真理教幹部・受刑者の写真リスト(週刊ポスト6月23日号)である。一人は脳梗塞を患って人事不詳となっているとも伝えられているが、その他は、教祖はじめ「死刑囚」七人を含めて健在である。しかも、心底、オウムから脱したとみられる受刑者が一人居るか、どうかの状況で、他は心の深層で病理を断ち切れていない。言い換えれば、何時、“やけぼっくいに再び火が着いてもおかしくない”かの信条にあることが窺える。

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週刊ポスト6月23日号写真面より参照
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 刑期を終えて出所した者が五人もいる。たとえ、オウム真理教という「ラベル」は“他教団”の名称に張り替えようとも、厳にオウムと同根と指摘すべきカルト教団の活動をして恥じない人物が含まれているのである。この人物らは、自らが幹部として共謀した教団が、実に多数の一般人に甚大な死傷被害を与えて置きながら、その際も、テレビに出演するなりして嘘八百を並べていた者たちである。一般の不特定多数の命と人権を脅かした。その反省の事実上が無いゆえに、懲りずに、平然とカルト活動を続けていると認識してよい。ということは、オウムの延長線上に生息している者たちであり、不特定多数の人権と、ひいては本当の意味での「信教の自由」を脅かし続けている存在であることが指摘できる。

 宗教と「カルト」との違いをそれぞれ定義し直し、「カルト」には宗教法人資格を付与すべき対象ではないことを明確化し、国による「カルト認定」の施行と、宗教法人資格の抹消が必須に違いない。何時までも、自称・宗教学者らの「宗教とカルトとの区別さえつかない」迷走論旨や“論評”に判断を委ねていては「百年河清を待つ」にも等しい。

 他人の「信教の自由」を守れない暴徒らが、「信教の自由」を看板にする筋道は存在せず、まして、他人の生存すら脅かす凶悪集団には、たとえ分派や教団名の改称で逃げても、断固として「許さず」とする。不特定多数の一般国民で成り立つ国家の「保全」にとってごく在って当然とする、政治の勇気が次代には不可欠であることは謂うまでもない。
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【筆者記】

 毒キノコに、これこれこういう栄養も有り、ビタミンも含まれています、とは謂わないだろう。同様に、カルトにも真面目な人がいるので、との事由は成り立たない。たとえば、林郁夫受刑囚は、確かに真面目な人であった。だが、その「真面目」をオウム真理教、ひいては麻原教祖(死刑囚)に向けたがために、本来、人の命を救うはずの医師の心が、毒ガスを撒いて多くの命を奪う凶器に変わったのである。それでも、真面目な人がいる云々の「木を見て森を見ず」の曖昧で過せるのか。過せるとすれば、その曖昧こそが、カルトを繁茂させる要因となって来たことに気づくべきかと思う。国思う良識のみなさまが更なる「賢」にあられることを。
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日本は毅然とあれ! 

20120629007 
路傍にて(筆者)
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