2012/05/26(土) 23:51:57 [ドットCOM殿式]

カルト教祖“生まれ変わり”の病理

   【読者】 博士。お疲れ様です。最新の創価学会のエントリーを拝見しました。 率直な感想として、創価学会らしい「嘘の信者への宣伝」と思いました。ただ、私はエントリーで、はじめて知り改めて驚愕している次第です。 皇太子殿下の幼少の頃となれば、私自身も幼少か乳児であるでしょうから、知らなかったのでしょう。 いずれにしても、創価学会は「~~の生まれ変わり」という嘘を平気につきます。

   私たち家族が脱会後に間接的に聞いた話では「池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わり」と組織内で口コミで宣伝拡張しているとのことでした。日蓮の再誕であることを自演するために樹齢100年にも満たない大木を手で触れながら「懐かしいな」と側近の目の前で演技したそうです。

  樹齢700年以上経過していないと、つじつまが合わないことも 考えずに、まさに短絡的であり莫迦丸出しで、漫才のネタにもなりません。

(以上、読者よりいただいたメッセージより)
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当該地へ足を踏み入れたことが無かった「日蓮大聖人」

 【博士の独り言】 貴重なメッセージをいただき、感謝します。創価学会から脱退された方ですね。先稿の話は、今では年配の域に達しておられる方がほとんどですが、累計十人以上の元信者の方々の証言と異口同音の内容でもあります。ご指摘の“杉の木の話”は、確か、内藤國夫氏がかつての月刊誌「諸君!」の連載の中でも幾度となく記されていた事例かと思います。

 連載の中で、内藤氏は、池田大作(名誉会長)が会議の席で汝の目の前に出されたメロンのひと切れが小さく見えた。そのように些細なことでブチ切れて、長時間にわたって怒鳴りまくったとする「メロン事件」や、教団信者の子供さん(幼い女の子)を抱き上げて顔にマジックインキで落書きをした「マジック事件」(写真も有名)なども、連載の中に類例として挙げられ、その病的なまでの特異性について指摘されていました。

 「杉の木に触って」との事例は、確か大石寺(静岡県富士宮市)境内の杉の木のことで、しかし、明確な樹齢は「樹齢100年にも満たない大木」であったか、どうかは、「諸君!」の中に記されてはいなかった。こう記憶しています。仮に、もしも、当時、その木の樹齢が「700年」か、またはそれ以上であったとしてもです。資料を紐解けば、現在の大石寺が存在する富士宮市上条の地域には、ご指摘の「日蓮大聖人」は足を踏み入れていなったはずです。その程度のことは、素人の筆者にも調べれば判ります。
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「亜」の性癖そのまま

 ゆえに、創価学会の教祖が当寺の大木を見て「懐かしいな」と云って“生まれ変わり”をアピールする筋合いも元々無い。言い換えれば、そこでも、汝の無知と病癖を曝け出したに等しい。出された食べ物が小さいからと云って、長時間怒鳴りまくるような人間性が、果たして、そうした先達に有ったのか、どうか。その点も疑問に残ります。

 創価学会の教祖のメンタリティは、やはり日本人とは到底拝察し得ない。癒えざるカルトの病理の、世にもおぞましき典型的な事例ではないかと拝考する次第です。
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カルト教祖に共通する、“生まれ変わり”のアピール

 “生まれ変わり”が現実に有ると仮定しても、史実に残る宗教者が、そんなに簡単に、且つ醜い姿に“生まれ変わる”ものなのか、どうか。そうした、常人の常識尺度では測れないことを平然と云う。それもカルト教祖のほとんどに共通しているいわば、“生まれ変わり”を己の“カリスマ”演出に利用している。それが筆者の分析です。

 「亜」の寄生種、特に朝鮮系が癒えざる性癖と抱えているかの、有名人、著名人のツーショット利用と同じです。言い換えれば、「時代」を超えたツーショット利用のパターンと謂えるのかも知れません。たとえば、オウム真理教の教祖・麻原(松本)死刑囚は、己を“キリストの生まれ変わり”だ、“釈迦の生まれ変わりだ”と。盛んに信者に植え付けていた。創価学会の教祖もまた、「右に同じ」ということでしょう。

 指摘の角度を変えれば、一介の凡人に過ぎない己の心の貧しさを「ツーショット利用」によって粉飾、偽装して覆い隠そうとするかの、寄生種のメンタリティの発露ではないかと。こう洞察しています。ゆえに、過去の先達の誰の“生まれ変わり”が教祖であるかにアピールする宗団は、それらと同系のカルトと観て差し支えない。そうした動態を観て取れる場合は「毒性」をそこで見極めて良い、国民が要警戒に処すべき集団と思います。

 カルトは気持ち悪い。一つの共通点は、何かの薬物でもやっているのではないか、と観察し得るほどトローンとしているその「目つき」に有ります。国家の要職はじめ、各界に潜伏している「隠れ信者」を見分ける。その手がかりの一つになろうかと考えています。「そんなの」に関わりたくないのが正直なところですが、カルトについても、良識のみなさまに警鐘を鳴らしつつ、これからも対峙して行きます。良識の駆逐によって、カルトが存在しない日本を。

(以上、博士の独り言より)
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日本は毅然とあれ!  

20120527001  
路傍にて(筆者)
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