警官無罪「発砲は正当防衛」考
2011/12/27(火) 23:57:15 [特亜/四亜]
殺傷凶器に成り得る「宝珠」
中国人射殺警官に2審も無罪「発砲は正当防衛」
栃木県西方町で2006年6月、石灯籠の宝珠(ほうしゅ)を振り上げた中国人男性(当時38歳)に拳銃を発砲して死亡させたとして、付審判決定に基づいて特別公務員暴行陵虐致死罪に問われた同県警巡査部長・平田学被告(35)の控訴審判決が27日、東京高裁であった。 読売新聞(Web) 12月27日付記事より資料として参照のため引用
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無抵抗のまま殺傷に遭うべしとでも謂うのか
表題は、去る平成十八年六月、栃木県西方町で、「石灯籠の宝珠(ほうしゅ)を振り上げた中国人男性(当時38歳)に拳銃を発砲して死亡させたとして、付審判決定に基づいて特別公務員暴行陵虐致死罪に問われた同県警巡査部長・平田学被告(35)の控訴審判決が27日、東京高裁であった」として、同地裁の裁判長は、「「発砲は自身の安全を守るためで、正当防衛にあたる」と述べ、無罪(求刑・懲役4年)とした1審・宇都宮地裁の判決を支持し、検察官役の指定弁護士側の控訴を棄却した」と伝える記事である。事実とすれば、ごく当然の判決と筆者は拝察する。
目の前で石灯籠の宝珠を振り上げた。振り上げた当人がたとえ外国人であろうとも、日本人であろうとも、その次になすであろう動作の危険性は推察に難くない。振り上げられた相手が「殺される」と判断して咄嗟の正当防衛に出たとしても、その行為を誰が責められようか。その正当防衛の行為が、同警官の場合が発砲であった、と認識すれば、事の次第は整理出来るのではないか。
それとも凶暴化した相手のなすがままに、無抵抗のまま殺傷に遭うべしとでも謂うのか。筆者の視点からだが、先ずこの点を問いたい。
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殺傷凶器に成り得る「宝珠」
表題の事例で、支那人男性が振り上げたとされる「石灯籠の宝珠」とは如何なるものか。下記に一枚添付させていただきたい。「宝珠」は、灯籠の屋根にも喩え得る「降り棟」の上(すなわち灯籠の天辺)に設置される。その建立の由来や、あるいは寺社でのそれぞれの宗教的意味合いなどから形状や大きさは千差万別とも謂えるが、概して硬く重い。
石灯籠の宝珠(朱枠の部分)
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こうした「宝珠」が人の頭部を直撃すれば、死にいたしめる場合もあろうことは察して余りあり、それほどの器物を眼前で振り上げられたとあれば、殺意にもとづく行為と判断して然りである。仮に、筆者が巡査部長の立場であったとすれば同様の判断をなすであろう。
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何故、そこに“被害者”がいたのか
もう一つ指摘すべきは、何故、被害者がそこに居たのか。外国籍者ならばなおさらのことで、何故、日本に居て、警官めがけて「石灯籠の宝珠」を振り上げたのか。賠償を求めて訴訟まで起こすのであれば、そこまでの事由と経緯を根本的に、且つ時系列的に洗い直す必要があろう。
たとえば、かくなる器物を振り上げた場が支那であり、発砲した相手が武装警官や人民解放軍兵士であった場合も、果たして、遺族が同様の訴訟を問うたのか、どうか。あるいは、場が日本だから、相手が日本人だから、人権派弁護士、市民団体があれこれと支援してくれるからではないか。そう舐めてかかってはいまいかと。あえて問いたい。
こうした、本来、真の被害者になりかねあい日本人の正当防衛行為を逆手に取るかの事例は、際限なくこの種の民を日本へ誘致するほどに増大するであろう。国思う政治家諸氏にその歯止めを切に願うと同時に、国民、特に婦女子を守るに足りる実証的な民間防衛の策を、幾重にも、さらに幾重にも巡らしておく必要が有る。
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【筆者記】
国思う調査活動の端緒について、何年か前の小稿に触れたことがあった。一つは、東京都内で日本人男性が、在日外国籍者から集団暴行を受けた事件。もう一つは、無抵抗な婦人が、幼子が泣くその前で、やはり在日外国籍者らによって集団暴行を受けた事件であった。
「個」の驚愕の中で可能な限りの聞き込み、調査を進めるほどに、とても日本人の常識尺度では測り得ない凶暴性と残忍性、生物以下の品位がありありと窺えたのである。且つ、逃げ失せる時は市民団体だの、通名牧師の教会、カルト信者の拠点、“同胞ら”の裏組織だのを隠れ蓑にするかの卑怯に出る。まさに、凶器とそれを匿(かくま)うに等しい裏システムと指摘できる。外国籍者による事件をさほど報ぜず、「友好」や「共生」を植え付けが目立つ多くのメディア報道は、悪行や侵略に目を瞑り、凶器と“共生”せよと強いているにも等しい。先ずは、不法滞在者から一人でもより多く「祖国」へお帰りいただきたい。そして、もう来るな。
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夜明けの蜜柑 (筆者)
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