韓国紙のコラムに思う
2011/11/07(月) 16:47:47 [特亜/四亜]
平成20年8月12日付メモより再掲
韓国紙のコラムに思う
【コラム】独り善がりな「コリアン・スタイル」(上)
これは、数年前にある外国の空港で遭遇した出来事だ。外国の航空会社の旅客機が滑走路から引き返し、飛行機に問題があるということで乗客を一度降ろすことになった。数時間たっても、航空会社側からは特に説明もなかった。その時、大きな声が上がったので振り返ってみると、数人の乗客が航空会社の社員らと争っていた。よく見てみると、韓国人だった。あちこちに散っていた韓国人が集まり、一人が「黙っていると損をする。騒ぐべきだ」と言った。さらに何人かが争いに加勢したことで、韓国人が集団でデモを起こしているようなありさまになった。筆者も、勇気がなくてデモができなかっただけで、頭にきていることに関しては彼らと変わらなかった。
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しかし周囲を見回してみると、ほかの乗客はいすに座ったりカバンを枕にして床に寝たりしたままで、この騒がしい見せ物を見守るばかりだった。そうやって待機中だった乗客が、いつの間にか半分以下に減っていたのに気付いたのは、ずっと後になってからだった。飛行機が離陸できなくなり、航空会社が乗客を呼んでホテルの宿泊券を渡していたわけだ。しばらくして見てみると、残っている乗客の大部分は韓国人だった。航空会社が、コリアンをことごとく後回しにしたらしかった。朝鮮日報 2008年8月12日付記事より参照のため抜粋引用/写真は同記事。参照のため引用
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「韓国人」を客観的に観た論調
朝鮮日報(日本語版)に興味深い記事がある、と読者から教えていただき、筆者も興味深く拝見した。どの点が興味深いか、といえば、同紙にしては冷静な論調でつづられているからだ。「しては」と評しては失礼かもしれないが、しかし、ぶっち切れに過熱したかの一方的な報道や、論旨が歪んだ独自のプロパガンダ、自爆記事などが目立つ韓国紙の論調の中にあっては、題意「独り善がりな「コリアン・スタイル」」が示す通り、多少の論旨のねじれは見受けられるが、しかし、どちらかといえば、冷静に、且つ客観的な「韓国人」を論評している記事に映る。
云うまでもなく、韓国人の中には、日本をよく理解した人々はいる。また、海外に留学し、研究生活を送ることによって、はるか海の向こうから日本、韓国ををあらためて見つめ直し、自らが教育されて来た「反日教育」がいかに虚構であったか、また、日本をスケープゴートにしたかの毀損政策が、いかに韓国自身の首を締め上げるものでしかなかったか。また、いかに「韓国人」が世界中で嫌遠され、取り残された存在であるか、と。
それらに気づいて、恥じ入るかのように韓国籍を放棄して「外国人」となった人々も中にはいる。先稿で、そうした元韓国人の知人について少々触れたことと思う。だが、こうした人間らしさを持つ「韓国人」ほど、メンタルな面でも、「祖国」から離れていく傾向にあるのではないか、というのが、一面的に過ぎないのかもしれないが、筆者が率直に抱いた感慨である。
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取り残されゆく「韓国人」
さて、表題記事(コラム)が伝える、ある空港の待合室の状況からも、勝手に感情的になる、騒ぎ出す、「韓国人」がいかに「まとも」に相手されなかったか。その様子が伝わって来る。
記事に云く、「がらんとした待合室に韓国人だけが残されていたその場面を、今でも忘れることができない。それが国際社会の中におけるわれわれコリアンの姿を意味している、という思いが、頭から離れない。なぜか、独島(日本名竹島)を巡る一件も狂牛病の一件も、この空港待合室の場面と重なって見える」(表題)と。こうした光景については、有志ブログの「特亜を斬る」殿らがしばしば周知されていることもあり、みなさまにはお馴染みの光景かと思うが。しかし、この待合室の光景が、すなわち、「それが国際社会の中におけるわれわれコリアンの姿を意味している」との指摘が英邁に映る。
さらに云く、「1995年、韓国政府が「日本をしつけ直す」と称して独島について各種の超強硬措置を取るや、韓国の国民は歓呼した。その時、香港のある新聞社がアジア地域の企業人を対象に調査を行った結果、日本の立場を支持するという答えが60%を超えた。その理由は「韓国がもめ事を起こした」というものだった」と。トラブルメーカーであることは間違いないだろう。身近に、さわらぬ神に何とやら、との喩(たと)えがある。海外でも、「韓国人」にはなるべく関わらない方が良い。その方が何かと無難で、より幸せに生きる方法だ、といみじくも語ったイタリアの知人がいたことを思い出す。
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根本的に出直すべきだが
記事に云く、「韓国が国際社会の視線を無視し、自分たちのやり方で道をふさぎ、寝そべり、デモをし、大声を上げ、物を壊し、血書を書き、剃髪(ていはつ)や火あぶりの儀式を行いながら暮らしていくならば、国際社会が独島をどのように表記しようと関係ない、という覚悟も同じく持っておかなければならない。しかし、そういう人はいないだろう」と。この楊相勲(ヤン・サンフン)論説委員は、ある意味で、国際社会の「良識」の視線を感じているのだろう。
朝鮮日報記事(下) (2008年8月12日付)
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さらに云く、「2000年の間世界の中で最も辺境にあった韓国が、国際社会に乗り出しておよそ40年。その間にここまでくることができた。しかし、「内輪同士布団の中で万歳を叫ぶ」今のこの思考方式・行動様式では、ここまでが限界のようだ。ある日、空港の待合室に韓国人だけが残されていることに気付いた時は、先進国に上るはしごがすでに片付けられた後なのかもしれない」と。韓国には、親日国になっていただかなくとも、せめて、「普通」の国家になっていただきたいものだ、と。それが、個人的な願いだが、現実はかなり困難なようだ。
今般は対馬までもを「領土」と言い出すなど、ますます日本に対する主権侵害、毀損の度を強めている。このスタンスが重なるほどに、韓国は自らの未来を否定しているに等しい。一方、わが国の対韓外交には、指摘すべきは整然と指摘し、貴国がもう少し「まとも」にならなければつき合わないぞ、と示すスタンスが必要であろう。
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■ 主な関連記事:
・韓国紙への意見書
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【筆者記】
私事で恐縮だが、地道ながら書簡活動を始めて10年以上になる。事実にもとづいて、淡々と書簡活動を展開する。あるいは意見書を申し述べる。その中で、あえて心がけて来た事項の1つに、この韓国をはじめ特定国とのスタンスとの「違い」を明示する、そのことがある。整然と事実にもとづき、これらの国々が宣伝する虚構を否定している。暴言や憎悪、集団圧力にまかせた言動が、いかにコリアン的であり、海外の良識が嫌遠するところであるか。身を以って識っているからである。
以前にもまして、手応えは感じている。先々のことは心配していていない、実名を以ってこれらの活動を可能なところまで尽くすのみだ。唯一の願いは、日本に対する、事実に基づいた正しい認識が少しでもより広がってほしい。それだけだ。この2年間で総計3000通を超えただろうか。ファクシミリを加えれば、もう少し数が増えるかもしれない。ささやかだが、次世代の日本へ、どこかで役立つことを願いつつ。短稿にて。
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読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝しています。ここに、新たに記事をアップさせていただけたことを有難く思います。 拙い記事に対し、有志のみなさまより、内容を的確にフォローいただくコメント、身を案じてくださるコメントに感謝します。一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。
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以上、平成20年8月12日付メモより再掲
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【筆者追記】
「日本の朝鮮化が進んでいる」との指摘
PCの電池切れが間近のようだ。以上、ご参考までにて。ところで、メンタリティの面で「日本の朝鮮化が進んでいるかに感じる」(要旨)とのご意見をいただくようになった。筆者も同感である。それゆえに、南朝鮮の動向に関するメモも増えている。以前から指摘されて来たモラルハザードやDV、淫欲の氾濫、集団暴力の徘徊など。その淵源を粛と問うてみれば、テレビなどメディアの配信、あるいは番組制作や構成の面でその流れに関わり、さらに増殖しつつある在日コリアンらによって朝鮮から流入して来たかの事柄が多い。加えて、通名報道の横行や“お仲間”のカルト系のスポンサーなどによって、真に報じられるべき事実、実体が伏せられ、その代替とするかのように“ロクでもない番組”が時間枠の多くを占めるようになった。破壊兵器、銃火器こそ使用していないが、しかし、その本質は、まさに、侵略の構図そのものではないか。
真に目覚めれば日本は迅速である。一人でも多くの方々が、この構図、国害の病巣に気づかれ、再点検せられることを願って止まない。メモにて。
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日本は毅然とあれ!
敷島の桜花(筆者)
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