2011/10/12(水) 13:41:15 [メディア報道の闇]

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ニュースレビュー  
北京公演“大盛況”を報じた、メディ「亜」の虚構

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SMAP:北京公演 歓声、地鳴りのよう
 【北京・工藤哲】人気グループ「SMAP」のメンバー5人が16日夜、海外初のコンサートを開いた北京の工人体育場には、小雨が降る中、約3万人の歓声が地鳴りのように響いた。コンサートのテーマは「がんばれ日本、ありがとう中国、アジアは一つ」。コンサートはアンコールを含めて約2時間半続き、中国のファンにとって忘れられない思い出となった。毎日新聞Web)9月17日付記事より参照のため抜粋/写真は「じつは会場はガラガラ!?」と伝える週刊文春9月29日号誌面の写真記事より資料として参照のため引用
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大盛況を報じたメディ「亜」報道

 あらかじめお断りしておきたいことは、小稿は「SMAP」に悪意を抱いてのことでは決してない。むしろ、同グループをネタに利用するかのように“日中友好”を謳い上げ、事実と“報道”との間に甚だしき「差分」があったとしても、恥じることがないメディ「亜」の病理を小稿に指摘させていただくものである。

 「SMAP」の北京公演(9月16日)が大盛況であったかの“報道”については、多くのみなさまがテレビなどで視聴され、あるいは、新聞記事をご覧になり、すでにご存知のことかと拝察する。問題は、一連の大報道の中身が本当だったのか、どうか。つまり「真」か、「偽」かの点にある。

 たとえば、表題の準朝鮮紙(毎日新聞)の記事には、宗主国を慮(おもんばか)ってのことか、「人気グループ「SMAP」のメンバー5人が16日夜、海外初のコンサートを開いた北京の工人体育場には、小雨が降る中、約3万人の歓声が地鳴りのように響いた」と記している。一方、その報道とは著しく異なるかの光景を写真記事で伝えているのが、週刊文春誌面(9月29日号)である。しかし、写真記事が事実とすれば、当時、盛んに流されたメディ「亜」“報道”は、一体、何であったのかと。そう拝察せざるを得ない。

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毎日新聞Web)9月17日付記事より
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ファンクラブツアーで埋められた「アリーナ席」

 撮影された時間帯については、写真記事の内容から開演直前のものと拝察できる。日没後の会場に明かりが灯り、警備員とおぼしき人員がそぞろに配置されている様子からも、開演が間近に迫りつつある時間帯であろうことが拝察できる。その時間帯に、「アリーナ席(二万四千円)は約千二百名のファンクラブ限定で満席、と誌面の方は記している。いわば、言葉恐縮だが、地元のファンというよりは、どこぞの国から遠征して来られた「おっかけ」ファンで埋められていることになる。

 その「おっかけ」ファンの一人の、携帯での会話として、「ねえ、会場ガラガラなんだけど(怒)。中国のファンは何時になったら来るの?!」とある。記事写真(文春)のスタンドの方を拝見すれば、本当にガラガラである。定員「71,112人」とする北京工人体育場のそもそもの収容規模と、「千二百人のアリーナ席」の視覚面積をもとに類推すれば、写真に映っていない部分のスタンドが仮に「満席」としても、多くて定員の十分の一ほどか。とても「三万人」(毎日)、「四万人」(テレビ朝日、読売)と報じられた数には遠く及ばないであろうことは、素人の筆者でさえ推察は容易である。

 「SMAP北京公演、スタンド席の半数は空席だった」と報じたとされる「北京メディアの新京報」を紹介した同系記事についても、ガラガラのスタンドを拝見すればいささか疑わしい。その“半数”が事実とすれば、推察すれば「三万五千人」以上の入場者が実在していなければ“勘定”が合わないからだ。
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テレビ「映り」のための配席か

 それにしても、スタンド入場者の配置が不自然ではないか。たとえば、横浜ベイスターズの試合でさえ、入場者が少ない試合ほど、たとえば、バラバラに席の間隔をあけるかのように、遠い星を散りばめたかのように人は分散して座る。だが、スタンドの観客(写真)は、何かの指示に従ったかのように一団、また一団をなしている。テレビの特集番組や、カルト教団の総会などで用いられる手法と伺っているが、要するに、ステージからカメラを向ける範囲に「人を密集させる」。大勢に「見せる」という、いわば「トリミング」の一つだが、その手法が用いられているかのようで興味深い。

 様子から、さらに掘り下げて指摘させていただくとすれば、地元の“入場者”は、「温家宝首相」らの指示のもとに動員された平服の人民解放軍のみなさんで占められている可能性があるやに観てとれてならない。人民解放軍兵士の習性的な特徴の一つは、自然に「一団化」する点にある。それとは対照的に、個人主義に重きをおく西欧では、たとえば、軍隊から大勢を民間行事に招く場合には、軍事活動を除けば、むしろ「人」が分散する傾向にあることを併せて指摘させていただきたい。

 拙き推察が正鵠を射ているとすれば、表向きには資本主義にその姿を似せながらも、しかし、言論統制著しい全体主義に他ならない中華人民共和国の、その不気味な素顔の側面を新たに拝察し得えるイベントと謂えるのかもしれない。その意味で、大盛況報道をなしたどこぞの国のメディ「亜」も、その統制の傘下に入っており、ご都合に合った提灯記事や花札報道の多用を余儀なくされているのかもしれない。
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■ 関連資料:

平成23年5月4日 見抜くべき「亜」の国害
平成23年4月23日 (第一部)
日本の新たな夜明け

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□ 平成22年11月21日 訪問勉強会 特亜および露西亜の真実  
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【筆者記】

 もはや新聞、テレビは頼りにならないと認識した方が良い。まして、新聞には、学校教材足りえる実態がない。指摘させていただいていることだが、「新聞にこう書かれている」、「テレビでこう言っている」というパッシブな在り方では、他国の内的侵略の具と化した新聞に読まれ、テレビに観られるに等しい。ネットの有志、有志ブログが指摘される「メディ「亜」による精神汚染」の端緒がここに有ると謂える。

 報道や番組に対し、少なくとも、新聞ではこう書いているけれども、しかし、「私はこう考える」。テレビではこう報道しているけれども、しかし、「私はこう考える」との在り方が先ずは必要ではないか。すなわち、“報道”の中からキーワードを拾い出す。あえて報道されなければ、それ自体が「私はこう考える」べき事例とし得る。そうした「眼」が不可欠かと考える。メモにて。
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日本は毅然とあれ! 
          

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清貧の路傍にて (筆者)  
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