犠牲者判別「DNA判定」考
2011/06/16(木) 23:00:24 [国内時事]
決め手となる「DNA型」判別
東日本大震災:献血試料で死者6人の身元判明…警察庁
警察庁は15日、日本赤十字社が保管している献血を試料にしたDNA型検査で、東日本大震災による死者6人の身元が判明したと発表した。毎日新聞(Web)6月15日付記事より参照のため抜粋引用/写真は毎日新聞の同記事より資料として参照のため引用
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決め手となる「DNA型」判別
表題は、「警察庁は15日」として、「日本赤十字社が保管している献血を試料にしたDNA型検査で、東日本大震災による死者6人の身元が判明したと発表した」と伝える記事である。皮肉にも準朝鮮紙の記事ながら、今後の参考のためにクリップさせていただきたい。
災害の犠牲となられた方々の中には、その災害が甚大なほど、目視による判別がつかない状況のご遺体が少なくない。いわゆる、歯型や骨格の特徴などを判別資料とせざるを得ない場合でも、それでも何とも本人確認が困難を極めるケースが実に多い。そうした場合に、決め手となるのが「DNA型」による判別であるとも伺っている。
一刻も早い本人確認を要する場合、ことさら、この{DNA型」による判別が有効な決め手となるに違いない。大きな災害ほど、一般的な、目視確認による手立てが追い付かずに、残念ながら集団埋葬となるケースもあろうかと拝察している。しかし、ご遺族の心情を察すれば、本当に当人か、どうか。迅速な判別、確認のもとに帰宅させて差し上げた方が良い。このように考える一人である。
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「DNA型」資料の保存促進を
決め手となった「DNA型」資料について、表題は、「日赤は、輸血後に感染症などの事故が起きた際の原因調査に備え、献血の一部を11年間保存。警察庁の要請を受け、震災による死者の身元確認のために保存血液を提供することに合意した」としている。義務付ける法律は未整備としても、「個」の「DNA型」資料の保存促進はごく当然にあって然りではないか、と表題の事例に触れ、ことさらにそう考える次第である。
そもそも、国民、外国人の区別を問わずに、不測の災害や有事に備えて、「個」の「DNA型」については、何らかの客観的な形で保存しておくべきではないかと思う。極めて精度が向上した「DNA型」検査については、なおさら、いざという時の本人確認の資料となり得るからだ。
併せて、たとえば、上記を義務付けておけば、例外的に、忌わしい性犯罪や、たとえば、世田谷一家殺人事件など、極めて特異なケースでも犯人特定のための有効な資料とすることが可能で、同時に「義務付け」が、客観的な統計資料ともなり、不特定多数に対する未然の防犯にも役立つのではないかと考える一人である。
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「公僕」の「DNA」情報開示を
先ずは、「公」の立場にある議員諸氏や各位については「DNA型」の登録と、「公」の義務としての開示をすべきではないか、と問いかけて来た一人である。特に、「亜」系出身者の多さが指摘される民主党や公明党、社民党などの議員諸氏には必須であり、尽きぬ「国民を欺き続けるメンタリティ」はいずこから派生して来るのか、その特異性の解明に資することが可能になるに違いない。
国家の基本的な保全のためにも、「亜」の対日政治工作員に等しい徒輩を税金で養う筋道にはない。「公僕」には「個人情報保護法」の適用外とすべきで、「公人」たる者の客観情報として、帰化暦や背乗り歴まで余すところなく国民に開示すべきであり、あらゆる情報をもとに有権者が「一票」を投じるころが可能な、それこそ「透明性が高い情報開示」がなされることが望ましい。
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【筆者記】
メンタリティの上では、すでに「日本人」に非ずということが明らかであっても、「タブー」や「差別」といった猫だましによって、むしろ、真正の日本人の側があらぬ「差別」を圧しつけられ、強いられて来たことは謂うまでもない。その結果の一つが今日の政界の惨状とも謂える。少しは整理したらどうなのか。
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ブログの日頃の論旨につき、ごく当たり前の筋道に照らして「おかしい」、「変だ」と洞察し、意見書のメモとしてみなさまに報告させていただき、その病理を問う。これが「博士の独り言」のスタンスであり、今後も不変です。
事実の指摘は決して悪口には該当しません。「公」の擬態、偽装に対する指摘は「悪口」の類ではなく、むしろ、さらに事実を掘り下げるために不可欠な指摘です。事実を淡々と指摘すれば、「なるほど、そうか」と気づく人もまた意外に多い。ごく普通の日本人が、ごく当たり前の「言」を発して行く。事実を即した、その共有が広がるほどに、また日本は毅然と恢復する、その素地を取り戻していくに違いありません。
事実の共有はすべての第一歩です。正論は事実から生まれ、良識の声は必ず力になる。良識による日本防衛を切に願い、国害と指摘すべき諸事項に取り組む国思う活動を応援くださり、辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。なお、本日より、本来の更新ペースをそぞろに復活させてまいります。
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日本は毅然とあれ!
路傍にて(筆者)
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