博士の独り言 II
ブログ「博士の独り言」の新編を兼ね、国思う諸活動を報告します。
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復旧「仙石線」考
2011/05/24(火) 16:43:49 [
国内時事
]
復旧へ、難題を抱える「仙石線」
仙石線、路線変更なら巨費…頭抱える自治体・JR
東日本大震災の津波で、太平洋沿岸部を走るJRなどの在来線は、線路や駅舎などが流され、壊滅的な被害を受けた。23日には宮城県石巻市などを通るJR仙石線の復旧を巡り、JR東日本と沿線自治体などが初めて顔を合わせたが、課題は費用負担だ。自治体や地元住民は一日も早い運行再開を求めるものの、新しい街づくりに合わせて路線を高台に移す場合には巨費が必要。他の路線でも様々な課題を抱えており、復興計画にも影響が出かねない状況になっている。
読売新聞
紙面(切り抜き)5月24日朝刊(35面)より参照のため抜粋引用/写真は
読売新聞
の同記事より資料として参照のため引用
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「仙石」とはいえ
表題は、震災によって壊滅的な被害を受けた仙石線(宮城県)の復旧問題に触れている記事(読売紙面)である。「仙石」に連想し得る音(おん)は似ているとはいえ、どこぞの落選待ちの、隷中政治家の芳名とはまったく無関係である。歴史ある「仙台」と「石巻」との、その間を結ぶゆえにそう名づけられている鉄道を謂う。
若葉区でお世話になった学生時代に、この仙石線にも親しませていただいた一人である。車窓から眺むる豊かな緑や家並み。海岸線には、南薩とはまた異なる美しさがあり、瞼(まぶた)の裏に幾重にもその情景が残っている。時に異(い)なる「亜」の民が視界を横切ることもあったが、そもそもの、現地の人々の心の豊かさと人情の温かみに学ぶ場面が多かった。愛するべき土地柄にある。
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高台へ路線変更か、そのまま復旧か
路線の運用価値が高く、元来の利用者が多いために、早期復旧を望む声が絶えず、JR側も復旧に臨む構えだが、しかし、既存のまま路線を復旧するには難題が多く、且つ、路線変更するにもまた難題が山積している様子を表題は伝えている。「被害が大きい東松島市の東名(とうな)駅―野蒜(のびる)駅間では、沿線住民の多くが津波対策で高台への移住を希望する」と。
続けて「このため同市側は、新たに建設する市街地を通るよう路線変更し、新駅建設をJR側に求めることも検討している」としている。だが、「路線変更には用地買収が必要で、巨額の費用と長い時間がかかる。既存路線の復旧と並行して新路線を整備する「折衷案」も浮上しているが、同市に財政的な余力はなく、市幹部は「負担を求められても厳しい」と明かす」とある。策定がどのような方向にいたるのか、注目したいところだが。
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先ず「インフラ」を
素人ながらふと思う。いずれの案になるにしても、沿線の街々の復興には、先ず、鉄道の復旧がその重要な要素を占めるに違いない。災害の爪痕が残る街々にとっては、先ず、身近な鉄道が動いている。それを必要な時に人々が利用でき、必要な物資を運べる。その安心感が復興の大きな支えとなるはず。安全性の強化と将来の部分的な路線変更を視野に入れながらも、しかし、鉄道、ひいては、インフラに関しては、先ずは、可能なところから復旧・開通することが、事の次第にあるべき優先順位の上位に位置しているのではないか、と拝察する次第である。
震災被害に遭った東北各地でも同様の事例があるはずで、あるべき補正予算の中には、そのための国からのピンポイントの融資、支援がきめ細かに組み込まれても不自然ではない。ひたすら延命の盾にするのみで、補正予算の内容にはあまり興味を示さない「亜」の傀儡政権については、良識が総選挙というボタンを押してワニの池へとご招待するにしても、その次の政権では、こうした事案に心配りが可能な、日本人による日本人のための日本人の政治を切望する。
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■ 関連記事:
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東北被災地での調査を実施します
2011/05/24
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【筆者記】
よくぞ、あれだけ「亜」のなりすましを集めたものだと。「朝鮮人民主党」に対する事実認識がそぞろに広がっている。騙しと盗みの不行で“成り立っている”「ヤード」の民に参政権を与え、国籍取得を与えようとする、莫迦な政治結社がこの世にあって良いものか。短稿にて。
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ブログの日頃の論旨につき、ごく当たり前の筋道に照らして「おかしい」、「変だ」と洞察し、意見書のメモとしてみなさまに報告させていただき、その病理を問う。これが「博士の独り言」のスタンスで、今後も不変です。
事実の指摘は決して悪口には該当しません。「公」に対する批判はそれが事実であればことさらに「悪口」の類ではなく、むしろ、さらに事実を掘り下げるために不可欠な指摘です。事実を淡々と指摘すれば、「なるほど、そうか」と気づく人もまた意外に多い。ごく普通の日本人が、ごく当たり前の「言」を発して行く。事実を即した、その共有が広がるほどに、また日本は毅然と恢復する、その素地を取り戻していくに違いありません。
事実の共有はすべての第一歩です。正論は事実から生まれ、良識の声は必ず力になる。良識による日本防衛を切に願い、国害と指摘すべき諸事項に対し、覚悟して取り組む国思う活動を応援くださり、辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。
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日本は毅然とあれ!
初夏にて
(筆者)
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