2015/04/03(金) 08:55:00 [「博士の独り言」維持委員会]

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カルトに騙されない学生生活を

 私や齋藤が学部に入学する時の、調査隊への座長講義からの文字落ししてみました。特に、週明けに入学式を迎えられる皆様のご参考にしていただければ有り難いです。「博士の独り言」維持委員会 南條 仁志
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カルト教団が信者獲得を狙う時期

 新入学の時期は、初夏のゴールデンウィーク明けや夏休み、秋の学園祭などの時期と同様に、カルト教団が信者獲得の時期と睨み、信者の学生らを動員し学舎やキャンパスを猟場とする時期でもあります。

 そう指摘できる実態については、一般出版されているオウム真理教の元信者らの手記本などからも観て取れることですし、創価学会や統一教会、幸福の科学などにもあからさまに観られる実態でもあります。一般の免疫性の無い若者ほどいわば洗脳しやすく、入信させて取り込めば教組や職業幹部の手足的な存在にもできる。そうした共通的な意図、“布教戦略”の一環とみなして差し支えありません。

 間違ってこれらに足を踏み入れてしまえば、すなわち学業のその後、さらには進路も踏み違えることになるので要警戒です。ここにおられる青少年講座を経られた皆様は、カルトに対しても重々免疫性を培われて来たものと思いますが。一応、念のためにこの冒頭でおさらいをしておきたく思います。
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朝鮮系「ウリジナリズム」と本質は同じ

 カルト教団については、三教団を含めての主なものをお手許の資料にリストしておきました。キリスト教や仏教など世界の主だった宗教対社会偽装に遣う。ゆえに「教えの系譜」の上では無縁の存在です。たとえば、“イエス・キリストも実は朝鮮人だった”と盲爆する朝鮮系の「ウリジナリズム」とその本質は同じです。ゆえに、そろいも揃ってこれらカルト教団の教組は、自らの“釈迦の生まれ再誕”であるとか、“イエス・キリストの生まれ変わり”であるとか、はたまた“日蓮大聖人の生まれ変わり”であるかのように喧伝するわけです。

 調査隊の国護る調査活動の中で、ご自身が“僕はアインシュアインの生まれ変わりです”、と自称する在日の精神疾患者に出くわしたことがありましたが。そうした果てなき妄想とDNAの「ルーツ」は同じとみなすと判りやすくなるでしょう。
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衝け込むカルト

 これらカルト教団に共通して観られる“布教戦略”は、1). 病気など、人の悩みや弱みに衝け込んで来る。2). “旨い話”など、金銭など我欲に衝け込んで来る。統一教会らと密接なマルチなどへの勧誘を兼ねた形態です。3). 異性を使うなど、性欲に衝け込んで来る。この点では、コミンテルン伝統のハニートラップによく似ていますが。

 さらに、4). 自教団のタレントやシンパの“有名人”や“著名人”あるいは一般の政治家をツーショット利用、または側面利用し、それらを看板にした教団セミナーや催しに誘い込むという、若者の関心、好奇心に衝け込んで“入信”へと誘う手法が近年では盛なため警戒を要します。

 芳名を挙げるには心苦しい点も有りますが、しかし事例として挙げれば、中山成彬氏の講演を看板に側面(?)した統一教会系の催しであるとか。渡部昇一氏やシンパの“著名人”のレクチャーを看板にした幸福の科学系統のセミナーであるとか。自前の創価タレントを動員した創価学会の会合などなど。バリエーションも豊富です。ただ単に誘われて、あるいは学内でのビラを観て「その有名人」の講演を聴きに行っただけとか。創価タレントとは知らずに実物を見てみたいから会場に行っただけ、のつもりが、会場の信者たちによって入信させられてしまったとか。

 そうでなくても住所氏名、連絡先などを書かされて、その後にあの手この手で執拗に勧誘して来たりなどの事例は数多です。これらの臭いが少しでもするものには、一切関わらないこと。相手にしないこと。これが民間防衛の一つです。
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ご両親や信頼できる友人を

 ご両親や信頼できる友人など、何でも相談できる存在がいれば忌憚なく相談する。これが最も有効な民間防衛の一つです。しかし、郷里から離れて上京して来た。まだ身近に話せる友人がいない。そうした人がご学友にもしもいれば、調査隊の皆様が頼れる友人になって差し上げてください。そして、隠れ信者などがニセの友情をかざしてその人に近づいて来るのを防いで上げてください。

 ご学友をカルトから守ることは、そのご家族を守ることに通じてまいります。ご家族を守ることは、その家族が集まる「国家」、つまり国と謂う大きな家を「守り保つ」つことに通じてまいります。

 カルトの毒害は、日本と謂う国家を次の世代へと清々と引き継ぐためにごく必然的に除去していくべき「国害」に他なりません。この「保守」の必然性の上から次の世代を担う皆様にも問いかけてまいりました。重要な一つですので、実地の研鑽と位置付けられ、カルトを相手にせず、有意義な学生生活を送っていただきたく思います。

(以上、平成25年3月30日「敷島民間防衛会議」冒頭での挨拶」より)
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■ 座長の関連稿

なぜ「博士の独り言」は「カルト対策」を扱うのか 
カルト系「中山夫妻を側面利用」の実態 
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国体の護持と弥栄を!

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敷島の桜花
(壁紙)(平成27年)義広撮影 敷島について
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文末挨拶 付記
武士は花を愛でる 付記

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敷島の和色465色と四季の繊細 付記
俳句、和歌は敷島の文化 付記

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2015/04/02(木) 19:51:00 [「博士の独り言」維持委員会]

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一期一会の心

 「一期一会」に触れられた島津座長の講義から転載させていただきます。当時、私は高校生でして直に聴講した一人です。別途、敷島人の潔さと思慮を凝縮した「一期一会」の心は武士道の根幹をなす一つでもあるとの講義も聴講しました。静かに話される島津座長には、あたかもタイムスリップして本当に武士に出会ったような肝の据わった清廉さというか、感動を覚えました。「博士の独り言」維持委員会 齊藤直哉
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おもてなしの心

 私事ながら、やんちゃに育った身の修養を兼ね、みなさまと同じ中高校生の時期でしたが、茶の湯を定期的に習っておりました。正直なところ、身に多少の窮屈を覚える。そうした感慨は当初は否めませんでしたが、正座の基本から諸々に在るべき所作の一つ一つを学ぶ。それらを通じて、先人が「道」として確立した日本人の心、美学をそこにまた一つ学ばせていただいた思いがしました。

 あくまで私なりにですが、茶道で心奥深く学ばせていただいた一つに、「間」の取り方があります。本来、おもてなしの心は、相手方へ対する思慮が凝縮された日本人の美徳の一つと謂えます。その、おもてなしの中で重要な一つが「間」の取り方であります。ほんの束の間であっても、この「間」が実はとても大切なのです。

 また、それが茶の湯でなかったとしても同様であろうかと思います。たとえば、ごく通常の日常の中で、来客にお茶を差し上げる。そうした時に、忙しさのためか、急須に湯を注ぎ、そのまま湯呑(ゆのみ)に注(つ)いでおられる事例をよく見かけます。しかし、そこで、遠路より来てくださったお客様を労(ねぎら)いつつ、あるいは、世間話でも良いと思います。湯を注いでから二十秒、三十秒、四十秒と「間」を置く。

 その束の間に急須の中で醸成された緑茶は、直ぐに注いでしまうものと比べれば、同じ茶葉であっても、また、急須や湯呑は同じものであっても、より香り豊かな奥深い味になっているはずです。ここに「間」の大切さがあると謂えましょう。たとえ同じものであっても、ああ、美味しいと。来客をより快くおもてなしする。ここにも奥深い思慮の心がある。
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一期一会

 そして、ふと心に思慮を尽すのは何故か。それは「一期一会」のゆえであります。悲観的なお話をするつもりは決してありません。しかし、現実に、たとえ親しい関係に在る人であったとしても、結果、その時にお会いしたのがそれで最期となった。こういう事例は世に数多とあろうかと思います。ゆえに、ごくありふれた再会のようであってもそれをまた「一期一会」と心して、また可能な限り、親しき間柄にも礼あるべきとの思いも心の奥に併せ持って、心のこもったおもてなしを差し上げるべきかと思います。

 その心を以ってすれば、ごくごく平凡に感ずるような日常の中に在っても、たとえば、ご家族そろって食事を共にする時であってもその一時(ひととき)の大切さ、無事の有り難さ、嬉しさを日々新たに心の中に再確認して行けるものと思います。この心もまた先祖代々の日本の伝統でもあります。どうか、みなさまにおかれましては、ご両親を大切に、ご家族を大切に、そしてご自身を大切に、新たな日々を心豊かに迎えていただきたく、心より願う次第です。

(以上、平成23年5月30日「青少年講座」より)
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国体の護持と弥栄を!     

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敷島の桜花 (壁紙)(平成27年)義広撮影 敷島について
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文末挨拶 付記
武士は花を愛でる 付記

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敷島の和色465色と四季の繊細 付記
俳句、和歌は敷島の文化 付記

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2015/04/01(水) 19:37:00 [「博士の独り言」維持委員会]

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博士の独り言維持委員会からのお知らせ

 島津座長からブログ休止のお知らせに際しまして、多くの皆様から調査隊の方へも更新継続へのご要望をいただきました。座長になり代わり御礼を申し上げます。

 座長に伝えたところそれならばと。座長からのあえての依頼と承認のもと、あくまでも読者の皆様のコメントや個人情報は見ずに守ることを誓約し、調査隊の私(鳥濱)と齋藤、南條の三名で「博士の独り言」維持委員会を結成し、この「博士の独り言 II」の管理を当面行わせていただくことにしました。

 内容的には、読者の皆様のご投稿の紹介をはわあじめ、これまでの座長の講義や講演の転載や文字落しが主な内容になりますが、交替で一日一度は更新して行くことにしましたので、皆様のクリック応援をお願いします。

平成27年4月1日

鳥濱 直倫
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敷島の家族を思う心

 先年の今時分の講座では、「里古りて 柿の木持たぬ 家もなし」との芭蕉句を紹介しました。伊賀上野の里で詠まれた一句ですが、同地も同様に、先祖代々の古くからの歴史を有する里には柿の木が無い家は皆無であり、今、その実が枝がたわわに実っている、との光景を詠んだものと拝察できます。同じく芭蕉が、「祖父親(おおじおや)孫の栄えや柿蜜柑(かきみかん)」と詠った句があり、ここでも柿の木が、蜜柑の木とともにそこに先祖代々から定住し、子孫へと受け継がれる個々の家族の、繁栄の一つの証としてあつかわれています。

 繊細な四季を経ながら年々実る柿の実は、その時期を迎える度に、ふと目をやると可愛い子供たちは成長している、すなわち、歳月の節目、節目を担(にな)う一つであったことが拝せられます。本来、いにしへより家族を大切にして来た日本の伝統がこの柿の実一つにも観られるのであります。

 どうかみなさまには、四季折々を感じられながらお一人お一人の成長を楽しみにされ、生き甲斐にして来られたお父上、お母上を日々大切にされ、感謝され、その日々の中で親が子を思う心を自然に引き継がれることを願って止みません、やがて、みなさまがその親の立場になられた時に、同じように子供さんたちを大切に思われ、生き甲斐にされ、立派に育てて行かれるようお願いしたく思います。先ずご家族を護る。それが、無数の家族が集まる国という大きな家(国家)を護ることにも通じてまいります。

 たとえば、私の場合ですが三男に生まれました。いわゆる、着るものや学用品など、どうしても兄のお古が少なくなかった。物心つく頃に、ふと、自らは、何時死んでも影響が無い存在なのかな、と勝手に思った時期もありました。しかし、そもそもが、お古は勿体ないと思う心をもとにしたもので、その美徳を直に教え伝えてくれる意味もあり、私を疎ましく思ってのことでは決してなかった。むしろ、兄らにもまして伸び伸びと、好きな勉強を自由にやらせてくれました。学位を得て研究者の仲間入りをした時に、言わずとも、子の特性に見合って育ててくれた親心が身にしみるようで、大変に有難く思えました。それが同時に、先祖代々が生きて来た国を護ろうという心が自(おの)ずと育つ、一つの端緒とでき得た次第です。

(以上、平成22年9月18日の青年講座の中より) 「義広通信」平成23年1月号掲載
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国体の護持と弥栄を!     

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敷島の桜花 (壁紙)(平成27年)義広撮影 敷島について
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文末挨拶 付記
武士は花を愛でる 付記

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敷島の和色465色と四季の繊細 付記
俳句、和歌は敷島の文化 付記

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